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印象派の中心的画家ピサロとドガに影響を与えた人物とは

印象派とは~画家たちの関係性から技法まで(3)印象派を牽引したピサロとドガ

安井裕雄
三菱一号館美術館 上席学芸員
概要・テキスト
ジョン・コンスタブル《干し草車》
出典:Wikimedia Commons
印象派を中心的に引っ張っていた画家として、ピサロとドガを取り上げる。のちに絶縁することになる2人だが、印象派展を牽引する上では手を取り合っていた。この2人がどのような影響のもとでその画風を作り上げたかを掘り下げることで、印象派の特徴やサロンにおける表現主題のヒエラルキーを窺い知ることができる。(全8話中第3話)
時間:16:36
収録日:2023/12/28
追加日:2025/01/11
≪全文≫

●印象派の中心的人物だったピサロとドガ


 印象派のグループの中でも特に中心的な役割を果たした画家は2人います。1人はカミーユ・ピサロです。8回の印象派展全てに出品しました。もう1人はエドガー・ドガです。彼は8回中7回出品しております。画風はまったく相容れない2人の画家なのですけれど、グループ展を開催するにあたっては2人で共同して進めていくことになります。

 ところが最後、この2人は仲違いしてしまいます。これは、1894年に起きた「ドレフュス事件」が原因になります。この事件をきっかけにフランス国内ではドレフュス派、反ドレフュス派の2つのグループに分かれてしまいます。つまり反ユダヤ、親ユダヤという2つのグループになってしまうのです。ピサロはもともとユダヤ人の家系の生まれでした。これがきっかけで反ユダヤ派のドガから絶縁をされてしまうのです。

 ただ、印象派展の間は、2人はまったく画風が違うのですけれど、共同して仲良く作品を発表する機会がありましたし、2人で版画制作をともに行っていました。2人で版画雑誌まで刊行しようとしていたのです。それほど仲が良かったのです。ドガはどちらかというと踊り子、競馬、水浴する女性、サーカスといった近代的な風俗を描いていた画家で、ピサロはどちらかというと風景を得意としていた画家でした。


●ピサロを筆頭に風景画家に影響を与えたコロー


 この風景画家たちに影響を与えた1人がカミーユ・コローです。1855年の万国博覧会にも出品しておりました。カリブ海に浮かぶ島、セントトーマス島からパリに2回目に訪れたピサロは、この2回目のパリ訪問のときには画家になることを決意していました。ですので、パリを訪れる時期も万博の開催中にちょうど合わせていたのです。

 もっともピサロは、1855年の万国博覧会の会場の横のパビリオンで個展をしていたクールベの影響をのちに受けるようになりますけれど、初期にはこのカミーユ・コローの影響を多く受けています。直接コローから絵を学んでいるのです。コローは印象派の画家たちのうちでもピサロ、シスレーに絵を教えておりますし、ベルト・モリゾには自分の作品を貸し与えて模写までさせているのです。

 印象派の画家たちは多くをコローから学びます。コロー自身、屋外で油絵の具を使...
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