●50年前にグローバル時代・IT時代を予見した
―― 分林さんは能楽師の家に生まれて、山岳部で育ち、立命館大学を出られて最初に勤められたところが、外資系企業のオリベッティでした。
分林 150年前に、オリベッティの創業者は、「我々は、社会に対して物質的な貢献をすると同時に、道義的、文化的貢献をも果たさなければならない」という社是を残しました。例えば私たちは今、能楽を支援していますが、企業は利益だけを追っては駄目で、社会的・文化的貢献をしていくものです。このことは、会社に入ったときに教えてもらいました。
―― 分林さんの家は代々能の家元。ご自身がもともと文化と近いところにいらっしゃいました。
分林 知らず知らずのうちに、歴史や文化を大事にしたいと思っていました。
―― やはり体に染みついていらっしゃる。分林さんの人生で面白いのは、能の家元の家系にもかかわらず、就職するときに当時はまだ珍しかった外資系企業を選ばれたということ。それが結果として良かったのでしょう。
分林 これからの企業経営は世界規模になるだろうということを、50年近く前から思っていました。当時、オリベッティは7万人の従業員を抱えて、世界80数カ国に展開していた会社です。そこには企業経営の何らかのノウハウがあるだろうことと、もう一つ、これからITの時代が始まるだろうということを50年前から予測していました。ですから、コンピューターにも触れたかったですし、学生時代から営業は多少自信がありましたから、その力も活かせるだろうと考えて入社を決めました。
それに、もともとコンサルタント志向でした。経営戦略のコンサルティングをしたいという志向は、入ったときからありました。自分が好きな道を選ぶのが一番ではないでしょうか。別に初めからM&Aを考えていたわけではないですが、結果的に自分の好きな道を進んできたという実感はあります。
●オリベッティと喫茶店経営の二足のわらじを履く
分林 当初、オリベッティは5、6年で辞めて独立するつもりでしたが、外資系企業ということもあって、自分の好きなことを自由にさせてくれて、居心地が良かったのです。それでついつい長居してしまいました。もちろん売上ノルマの数字は厳しかったですが、売上さえ上げていれば、本当に自由に企画・行動できる会社でした。
30代半ばになって、そろそろ本当に独立しよう...