●ボリシェヴィキ革命で帝政ロシアを倒したレーニンがドイツと異例の講和
現代史はこういうことになっています。やはり1918年がとても重要です。1918年は第一次世界大戦の終わり頃で、ボリシェヴィキ革命が起きた年です。レーニンが帝政ロシアを倒したのです。これにアゼルバイジャンの民族主義者たちは「獰猛なロシアが倒れたぞ」と歓呼して、アゼルバイジャン人民共和国の独立宣言をするのですね。
ところが、これに私はすごく関心があるのですが、長く続かないのです。ボリシェヴィキ革命は、1917年の10月革命のことで帝政ロシアを倒すのですが、ボリシェヴィキを率いていたレーニンはもともとユダヤ人だという説もあるのです。そのレーニンが、ロシアの支配体制を確立したと宣言するのです。
国民は第一次世界大戦で疲弊していて、厭戦気分で嫌になったことが一つの理由で帝政ロシアが倒れたのですが、それに悪乗りしたのがレーニンです。この時、何が起きるかというと、ドイツと講和条約を結ぼうとするのです。そうすると、ロシアは連合国側ですから、イギリス、フランス、その他の国々に「何をやっているのだ、お前は」と憎まれることになったのです。しかし、ロシアは、共産党が万国平和という信じられないポリシーを打ち出していくのです。他の国は戦争中なのに気でも狂ったのかと思うのですが、ドイツは乗るのです。領土を変えないことを約束するのですが、それは嘘で、それに乗ったドイツは領土を取られてしまうのです。イギリス、フランス、アメリカはそれを見ていて、「ロシアがそういうことをするなら」とロシアに皆進駐するのです。なんと日本まで進駐します。かの有名なシベリア出兵ですね。チェコスロバキアまでロシアに進出するのです。
●武力でアゼルバイジャンを征服したロシア、バクーにソビエト政府を樹立
一方、ロシアですが、農業生産がストップしているので、国の中は満身創痍になっているはずなのですね。そこで、ボロボロに弱っているロシアがどういうことをしたかというと、これがよく分からなくて、私はアゼルバイジャンでロシア研究をしている大使館の人にもさんざん質問したのです。すると、こういうことです。レニングラードに権力が集中していたソビエトのリーダー・レーニンが、「アゼルバイジャンは生意気だから、赤軍に対し、アゼルバイジャンに行け」と言うのですよ。つまり、赤軍がアゼルバイジャンに派遣されるのです。ちなみに、ソビエトというのは会議という意味です。
そうして、アゼルバイジャンに行き、瞬く間に武力でアゼルバイジャンを征服してしまうのです。それで、バクーという今のアゼルバイジャンの首都にソビエト政府を樹立するのです。それを踏まえて、アゼルバイジャン人はロシアに屈服して、1920年にアゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国を建国せざるを得なくなるのです。
よく聞いていてください。こういうことがずっと繰り返されるのです。これは、たった一つの例ですが、ウクライナでもトルクメニスタンでも同じことが起きています。それがソビエトという国なのですね。
●ロシアが周辺国を抱え込んだのは被害者意識から
そうして、ソビエト連邦ができ、他に14の民族共和国があるのですが、これらは皆ソビエトの周辺にあるのですね。なぜそんな国を14も抱え込んだのかというと、まず、これを抱え込んだのは帝政ロシアです。ピョートル大帝と女帝エカテリーナ。あの女帝も貪欲な女性で、もとは外国人なのですが、すごいことを行うのです。大英帝国は、このロシアをものすごく警戒して、緊張が高まります。これをグレートゲームと言いますが、19世紀の後半は、ロシアとイギリスの、直接的間接的な、いろいろな闘争の時代です。ロシアはどんどんと南下して勝っていくのですね。その時にダボハゼのように周辺の国を抱え込んでしまうのです。皆何千年という歴史のある立派な国、民族なのですが、そんなものは無視して、ソビエトを建ててしまうのです。
なぜそんなことをしたのかというと、ロシアの専門家に言わせると、ロシアにはいつも被害者意識があり、強国に囲まれているため、いつ攻撃されるか分からないという思いがあるということです。あのウラジミール・プーチンも、どうもそうらしいのです。ですから、緩衝地帯をできるだけ広くとっておきたいということです。考えてみれば、日本も同じようなもので、間には何もないではないですか。海を越えたら、すぐにミサイルをぶち込んでくる国があるわけですから。
ということで、できるだけ広く緩衝地帯とりたい。ですから、いつも安全パイを持っていたいということらしいのです。何かとんでもなく被害妄想のある変わった民族ですね。私たちはソビエト・ロシアをうんと研究しなければいけません...