2014年5月20日、『朝日新聞』は「所長命令に違反 原発撤退」「福島第一 所員の9割」と一面トップで大見出しを打ち、「第一原発にいた所員の9割が吉田氏の待機命令に違反し、10キロ南の福島第二原発へ撤退していた。その後、放射線量は急上昇しており、事故対応が不十分になった可能性がある」と報じた。だが、それは誤報であり、最終的に朝日新聞が非を認め、社長辞任に至ることになった。「吉田調書問題」である。さらに「吉田昌郎氏と東京電力は、東日本大震災の前から津波の可能性を認識していたのに、対策に及び腰だった」と批判されたこともあった。いわゆる「吉田調書」(政府事故調による吉田氏への聴取記録)もひもときつつ、その実相に迫っていく。(全6話中第3話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツ・アカデミー編集長)
≪全文≫
●「吉田調書問題」とでたらめな報道の顛末
門田 (前回お話しした)ディーゼル発電機が水をかぶって動かなくなったことについては、吉田氏がとても悔んでいたことがあります。それは、非常用発電機が地下に置かれていたことです。それで水をかぶってしまったわけで、これについては、非常に悔んでいました。「建屋の上に置いておけばよかった」と。
単純にいえば、建屋の上に非常用発電機を置いておけばよかったわけですが、吉田氏は建屋の上に置くことができなかった。それは、崩落の危険性のほうが彼の頭を占めていたからです。
柏崎で起きた地震(2007年、新潟県中越沖地震)のことが、彼の頭に強く残っていた。そのときの彼は東京電力の原子力設備管理部部長になったばかりで、その対応のため、本店から柏崎刈羽原発に指示を出していたのが吉田氏でした。敷地内は非常に大きなガル数だったらしく、正確な数字は忘れましたが、考えられないようなものすごいガル数だったらしいのです。
あのときのようなガル数の揺れが来たら建屋崩壊となり、非常用発電機は重いので崩落して駄目になる。そちらのほうを(吉田氏は)重く見ていたのです。私に言っていたのは、「それはあったけれど、それでも上げておいたほうがよかったな。俺は決断できなかったけれど、あの重さで、ものすごいガル数(の揺れ)が来ても『上に上げるべきだ』と言われて、決断できただろうか。もしそう言われても…」と言いながら、「それでも上げなくてはいけなかった」と悔やんでいました。
―― 地震対策の話でいうと、あの後、吉田所長が地震対策に及び腰だったのではないか、うまくできていなかったのではないかという批判が…。
門田 でたらめな報道をいろいろやっていましたね。
―― それがありました。門田先生はこちらの『「吉田調書」を読み解く――朝日誤報事件と現場の真実』(門田隆将著、PHP研究所)という1冊で、まさに「吉田調書」を読み込みながら…。
門田 それもありましたね。
―― これは2014年の11月(刊行)です。
門田 (2014年)5月20日から朝日新聞があの記事を掲載して、木村(伊量)社長と私が戦争(状態)になったではないですか。結局、朝日新聞が謝罪したのが9月11日で、木村社長は記者会見をして「間違いでした」と認めました。これはイデオロギーに基づいて、原発の人間が逃げていたとか、嘘をついて...