大気中に放射線を拡散するベントの決行は、文字通り生死を分け、やり直しの効かない大事業である。日常、その手順を訓練してきた作業員であっても、防護服・ヘルメット・グローブを着用した上では原子炉建屋での動作はままならない。一つの修羅場を越えたFukushima 50には、命を賭ける以上の覚悟が存在していた。(全6話中第5話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツ・アカデミー編集長)
≪全文≫
●扉を閉めるとき「命が終わる音がした」
門田 伊沢氏はもう呆然です。(ベントに行くのは)とにかく死にに行くようなものですから。幸いに亡くなってはいないけれど、あのMO弁を開けなければ、日本は終わりですから、そのときの異常な心理状態(は想像を絶します)。
中央制御室から原子炉建屋にたどり着くまでの通路にはボラをはじめとした魚が死んでいて、津波で打ち上げられたままの魚の死骸を避けて行くわけです。そうやって(建屋へ)入っていって、二重扉になっている一文字の錠を開けてその空間に入る。さらに二つ目の一文字を開けて初めて原子炉建屋に入るわけです。
みんな言っていたのが、(この扉を)ガシャーンと閉めるときに、命の音といいますか「命が終わる音がしました」ということです。(放射線を)浴びる量を少なくしないといけないから、一刻も早く行って、パーっと駆け上がり、MO弁が見えるところまで行く。
そこまで来たら、後はハシゴで上がらなくてはいけないのだけれど、ハシゴには落下防止のために鉄の輪がついているわけです。そこを上がっていけば、もうそこにMO弁がある。
大井川氏が言っていたのは、行こうとしたときに、「ガチャーン!」と背負っていた酸素ボンベが(階段の鉄の輪に)当たる。普段の訓練では酸素ボンベまで背負わず、普通の格好で行ってきた。その時は異常な状態で来ているから、自分の酸素ボンベが転落防止の鉄の輪に当たるなど、想定していない。「早く行かなければ」という思いで行って、ガーンとぶつかって。でもその時に、プシューッとはならなかったらしく、「助かった」と思って上がったということです。もしこのとき、ボンベがプシューッとなって、帰らなくてはいけない、先に行けないという事態になっていたら、もう日本は終わっていた。
ようやくたどり着いた(MO弁は)顔よりやや大きいぐらいのものです。そのハンドルを電動から手動に切り替えないといけない。手動に替えるためのクラッチのようなものがあるのだけれど、焦っているから、そのクラッチが入らなかったそうです。
野球のグローブのような手袋をつけていましたから、ボンベ同様手袋についても普段の訓練のときとは違っていたわけです。ともかく普段ならカシャンと入るものが、焦っているから入らない。グワーッとなる。それで何度目かにやっとガシャーンと入って、電動から手動...