樋口季一郎によるユダヤ人救済の背景には、当時世界を支配していた苛烈な「人種差別」に、日本が国を挙げて反対してきた歴史があった。日本は第一次世界大戦後のヴェルサイユ講和会議で人種差別撤廃を世界に先駆けて訴えた稀有な存在だったのだ。さらに、戦後公開された「ヴェノナ文書」は、開戦の裏に潜むソ連のスパイ工作という衝撃の真実を浮き彫りにする。従来の歴史観を覆し、新史料から第二次世界大戦の深層に迫る。(全5話中第4話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツ・アカデミー編集長)
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●強烈な白人の「人種差別」に反対しつづけた日本
―― 日本は第一次世界大戦後の講和条約の時も、「人種差別を撤廃せよ」ということで動いたり、明治維新以来、常に白人と向き合ったりしていく中で、一面では人種差別という問題にずっと向き合ってきたわけですけれども、ことユダヤ人問題になると、ヨーロッパ内部での差別問題というものに結びつきます。
早坂 樋口(季一郎)自身はウラジオストクでも、ハバロフスクでも(そうですが、特に)ハバロフスクの時はユダヤ人の家に下宿していたという話があるのですね。ワルシャワでもやっぱりユダヤ人の下宿を借りていたと。これは実は当時の陸軍のヨーロッパに派遣された軍人の人たちに多いパターンなのです。というのは要するに、黄色人種である日本人に家を貸したくないというのが当時のヨーロッパであったのです。
そんな中で家を貸してくれるのはユダヤ人だけだったということです。そこがオトポールに向う土壌として、樋口の内面にはあったと思うのです。感情的に、あるいは自分の経験から来るものですね。
人種差別がいかに「愚かなこと」で、ドイツとは同盟関係にあるけれど、そのドイツの人種政策には与しないというのが樋口の思いでした。実はそれは樋口だけじゃなくて、日本も実はそうなのです。
これは、樋口も杉原も、個人の独断で行ったというような落としどころで話が終わってしまうケースが多々あるのですが、実はその土壌には日本という国が明治維新以来、人種差別には一貫して反対してきたことがあります。そして、ユダヤ人に対して、ドイツはもちろんですけれど、当時、イギリスもアメリカもユダヤ人に何をしていたかといったら、これはもうとんでもない、弾圧に近いことをやっていたのです。
―― 歴史的に、ロシアもすごいですからね、弾圧は。
早坂 そうですよ。当時の先進国でユダヤ人を差別的に扱わなかったのは日本だけなのです。そういった国のベース、国策の土壌があった上に、樋口も杉原(千畝)もその存在があった、というように考えないと(いけない)。個人の独断というだけではなかったと思います。
―― そこの部分について、門田さん、いかがですか。
門田 100年ほど前の1919年、ヴェルサイユ講和会議、あの中でひとり、人種差別撤廃、これを唱えたのが日本です。そうすると、日本がずっと、そのときに欧米によってその...