この講義シリーズの第1話は
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資本主義の再定義…哲学で考える
「共生」の本当の意味とは?…人間はHuman Co-becoming
資本主義の再定義…哲学で考える(2)今の時代の人間観と共生
中島隆博(東京大学東洋文化研究所教授)
3.強欲資本主義は死んだ…他者を助けることのできる他者を助ける
2026年8月10日配信予定
4.利とは、義の和である…なぜ道徳的なふるまいが企業活動に重要か
2026年8月11日配信予定
4.利とは、義の和である…なぜ道徳的なふるまいが企業活動に重要か
2026年8月11日配信予定
5.企業が「CPO=最高哲学責任者」を置く時代…人間の知性とは?
2026年8月17日配信予定
6.「一人で悟るのは危険だ」…学ぶことの本質と日本の役割とは?
2026年8月18日配信予定
現代において私たちが考えるべきなのは、19世紀的な「自律した個人」という旧来の人間観ではなく、感情を通じて他者に開かれた「根源的な社会性」を備えた人間像である。言語や心、また自由も個人が所有するものではなく、他者や社会と共有し開かれたものである。これから人間を固定的な存在(being)ではなく、他者とともに人間的に成りゆく「Co-becoming」として捉え直さなければならない。それは、ただ干渉せずに並び立つ「共存」とは異なり、お互いに関与し合い相互に変容し合う真の「共生」のプロセスである。(全6話中第2話)
時間:6分21秒
収録日:2026年1月21日
追加日:2026年8月4日
収録日:2026年1月21日
追加日:2026年8月4日
≪全文≫
●根源的な社会性がないと言語は機能もしない
そうすると、私たちが考えなければいけないのは、今の時代にあった人間観だと思います。19世紀的な自律した個人、例えば経済では「ホモ・エコノミクス」などと言うではないですか。「経済人」のことですが、私たちはそんな人を見たことがないわけです。どこにそんな人がいるのかと。
そうではなく、人間のあり方はもっと感情を通じて、他者に開かれている、そういうあり方です。私はそれを「根源的な社会性」という言葉で呼ぼうとしているのですけれど、それが人間には備わっているのではないか。
例えば、今、私は日本語という、ある自然言語でしゃべっています。でも、これは私の言語ではない。私が発明したわけではない。これは私が教わった言語で、自分のものではない。他の人から教わった言語を使って、自分の思いを表現している。そういうもので、これについては皆さんも同じ構造を持っているわけです。
根源的な社会性がないと、言語なんて機能もしない。もっと言ってしまえば、例えば心の問題がありますが、「私の心」というのはおかしい言い方ではないかと思っています。
この部屋には今、10人ちょっとの人がいらっしゃいますけれど、私たちは今、心を一つにして何か問題を探求しようとする。そうすると、心はみんなで今「共有」しているものです。だから、「心が個人の所有物だ」という考えを根本的に改めたほうがいい。ジョン・ロック的な所有に基づいた人間像を決定的にやめてもいいのではないか。こう思っているわけです。
自由の問題もそうですね。「これは個人の自由ですね」とよく言うのですが、違います。自由自体が非常にソーシャルなもので、「社会的なものに開かれた上での自由」という気がするのです。人が本当に自由になるということは、社会が豊かになっていくこと、いい方向に向かっていくことで、それがなければ自由なんてあり得ないということです。そういうことをガブリエル氏も強調しています。
●これからの人間は「Co-becoming」で考えなければいけない
その上で、嬉しいことにというか、少し恥ずかしいことに、「共生」――これは日本語で、日本発の概念なのですけれど――を取り上げてくれて、私の名前を出して「Co-becom...
●根源的な社会性がないと言語は機能もしない
そうすると、私たちが考えなければいけないのは、今の時代にあった人間観だと思います。19世紀的な自律した個人、例えば経済では「ホモ・エコノミクス」などと言うではないですか。「経済人」のことですが、私たちはそんな人を見たことがないわけです。どこにそんな人がいるのかと。
そうではなく、人間のあり方はもっと感情を通じて、他者に開かれている、そういうあり方です。私はそれを「根源的な社会性」という言葉で呼ぼうとしているのですけれど、それが人間には備わっているのではないか。
例えば、今、私は日本語という、ある自然言語でしゃべっています。でも、これは私の言語ではない。私が発明したわけではない。これは私が教わった言語で、自分のものではない。他の人から教わった言語を使って、自分の思いを表現している。そういうもので、これについては皆さんも同じ構造を持っているわけです。
根源的な社会性がないと、言語なんて機能もしない。もっと言ってしまえば、例えば心の問題がありますが、「私の心」というのはおかしい言い方ではないかと思っています。
この部屋には今、10人ちょっとの人がいらっしゃいますけれど、私たちは今、心を一つにして何か問題を探求しようとする。そうすると、心はみんなで今「共有」しているものです。だから、「心が個人の所有物だ」という考えを根本的に改めたほうがいい。ジョン・ロック的な所有に基づいた人間像を決定的にやめてもいいのではないか。こう思っているわけです。
自由の問題もそうですね。「これは個人の自由ですね」とよく言うのですが、違います。自由自体が非常にソーシャルなもので、「社会的なものに開かれた上での自由」という気がするのです。人が本当に自由になるということは、社会が豊かになっていくこと、いい方向に向かっていくことで、それがなければ自由なんてあり得ないということです。そういうことをガブリエル氏も強調しています。
●これからの人間は「Co-becoming」で考えなければいけない
その上で、嬉しいことにというか、少し恥ずかしいことに、「共生」――これは日本語で、日本発の概念なのですけれど――を取り上げてくれて、私の名前を出して「Co-becom...