●すさまじかった高速鉄道の事故とずさんな事故処理
皆さん、こんにちは。
今日は、これまで話してきた「長州ファイブ」のうち、三人の技術系専門家の最後として、井上勝についてお話してみたいと思います。井上勝は、日本の「鉄道の父」とも呼ばれた人物です。
さて、数年前に、高速鉄道が大変な事故を起こした国がありました。その事故のすさまじさを、私たちもテレビ映像やさまざまな写真映像を通して知りました。
その時に驚いたのは、生存者の確認や事故規模の点検などもそこそこに、事故の翌々日には早くも営業を再開したことでした。事故原因の特定や被害者数の把握などは、利用者の安全を図り、今後の利用に安心をもたらすためにも大変大事な作業です。にもかかわらず、日本人の常識では全く考えられないほどの早期に営業が再開される。そこには実利や政治的な思惑が優先されたのではないかと推測されたのは、記憶に新しい次第です。
また、高架橋から無残にぶら下がった車両をこともなげに上から下に突き落としていく乱暴な作業や、破壊された車両を重機で土の中に埋め込んでいくありさまにも驚かされました。どう考えても、事故の原因の真相をきちんと突き止めるという姿勢からは、ほど遠いものである印象を受けました。
しかし、さらに驚いたのは、同国のスポークスマンによるふるった言い草です。「下が泥土であるために、救助作業を促進することができない。そこで足場を固めるために、車両を破壊して穴に埋め、その上に土を撒いたのである」という説明がなされました。これは、世界最速を自慢する国の事故処理にしては驚くべきことであったのみならず、そのような国の車両にふさわしく、「事故処理も超特急だ」と評された向きもあったほどです。
●世界に冠たる日本の鉄道と鉄道技術の父、井上勝
日本の新幹線や高速鉄道の安全・安心な技術は、JR・私鉄を問わず、世界でも一番だと言われています。しかし、それが一朝一夕になったものではないということに、私たちは注意する必要があります。
確かに、私たちは新幹線をつくりました。しかし、そのためには明治の新時代から「安全とは何か」ということに取り組んできた多くの技術者たちの存在があったのです。スピードを上げるために安全を犠牲にしない。また、「乗客に安心感と快適な旅」が常に考えられている。技術は技術として完結してしまってはならず、利用者の側の便宜やサービスもきちんと考えなければいけないのです。
この点で、日本の鉄道技術は世界に冠たるものです。ところが最近では、JR北海道の非常に遺憾な事故・事件があったりして、私たちは愕然としているところです。長い間、私たちは技術者に対して「事故につながるというようなことを、決して見逃さない」という信頼を置いてきました。保線区の誇り高い現場作業員である保線要員の人たちは、ミリ単位の間違いも見逃さず、誤りを正していくという信頼です。それを裏切るような事態が生じているから、私たちは愕然としているのです。
日本の鉄道をみると、安全面に関してずいぶんと注意を払ってきた歴史があります。その最初は、やはり「長州ファイブ」の一人である、井上勝という人物です。
●ロンドンで身につけた知識・技術で、日本鉄道界のトップに
井上勝は、伊藤博文や井上馨とともにイギリスに渡り、ロンドンのユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)で鉱山・土木・鉄道について勉強をしました。
帰国後間もなく、彼は政府の実務・技術系官僚のトップになり、鉄道の建設に取りかかっていきます。井上勝の足跡は、そのままちょうど日本の鉄道の発展や道のりと重なると言ってもよいぐらいです。
明治7(1874)年に、井上勝は鉄道頭になります。後に言う鉄道大臣や日本国有鉄道総裁に当たる地位です。また、彼は阪神間と京阪間の鉄道などを構想し、つくることになります。そのような要職でありながら、自身が直接関西に出張して、京都―大阪、大阪―神戸をつなぐ鉄道の敷設を指導したのです。
その後、彼は、工部少輔に任命されます。今風に言えば、建設省や国土交通省の次官ということにもなるでしょう。そして、鉄道局長、技監、工部少輔の上席の次官である工部大輔と出世を重ねていきますが、その間、ロンドンに一緒に渡った旧友の井上馨や伊藤博文に対して鉄道建設の意味をずっと説き続けていたのです。
●外国依存体質からの脱却と東京―京都間の大動脈敷設
彼の強固な信念として、人や技術面での外国への依存から脱却することがありました。鉄道は全国をつなぐ運輸の動脈で、人にとっては往来の幹線であり、まさに大動脈ということになります。明治初期の日本の工業力が未熟な時代には外国の技術力導入もやむを得なかったが、そこから離れ...