●「面白い自殺の本」執筆をめぐる違和感
最初のうちは、自殺のことを本にしたり、そのための原稿を書くことに対して、どうも自分の中で踏ん切りがなかなかつきませんでした。しかも、出版社からの依頼が「面白い自殺の本を書いてくれ」という話だったために、「自殺=面白い。えっ?」みたいな感じで、結び付かないのですね。
結び付かないままにいろいろ考え、時々出版社の方と打ち合わせをしたりしながら、だらだらと1年ぐらいが過ぎてしまいました。こちらから断るでもなく、書くでもない感じで引き延ばしていたわけですが、申し訳ないと思いながらもやはりなかなか踏ん切りがつかなかったのです。
●東日本大震災が『自殺』を書くきっかけに
依頼されたのは2010年の4月ぐらいで、それから1年ほどがたち、東日本大震災が起こりました。それが、私が書くきっかけになったのです。
ですから、『自殺』の第1回目は「地震と自殺」というテーマで書きました。何を書いたかというと、大震災の日に自分が何をしていたかということです。ただパチンコをして麻雀をしていたので、不謹慎ともいえる内容ですね。
でも実際に、東日本大震災の惨状というものは、その時にリアルタイムではとても分からなかったということがあります。テレビを見ていると、断片的に映画の1シーンのような映像が流れて、「あ、すごいな」と思いました。仙台の空港を津波が襲い、滑走路に波が来る映像などを見ると、「あ、すごいことになっているんだ」と思いながらも、結果的に何万人もの人が亡くなるような災害になるということは、その時点では分からなかったのです。
しかし、報道を見ていくうちに、だんだん自分も何かしないといけないという気持ちになりました。頭の中に「自殺」の話があったので、なんとか自分も人の心に届くようなことをしたいという気持ちが生まれ、書くきっかけになったのです。
●ブログとツイッターへの反響に支えられて
そこで2011年の5月から、月に1回更新するぐらいの頻度で、ずっとブログを書きました。毎回、担当の編集者と打ち合わせをして、次のテーマを決めて書くというような形で書き続けたわけです。
その半年後に私はツイッターを始めます。ツイッターでブログの更新情報を載せると割に反響があって、読んでくれている方がとても多いと分かり、励みになりました。中には「明日まで生きてみようと思った」といった切実な意見をくださる人もいました。そうなると、それに対してこちらが今度は逆に励まされることになるのです。
私は、自殺にまで追い込まれる人に対して、なんとか思いとどまってほしいという気持ちでこれを書いていたのですが、逆に私の方が励まされていくような感覚になってきたわけです。
その後、私は会社を辞めるのですが、こうしたやり取りが「もう会社を辞めてもいい」という気持ちを後押ししてくれたのかもしれません。『自殺』を書くことで、読者の方々からいろいろな話を聞かせてもらったり、ツイッターで意見をいただいたりしたからです。そのことが結構励みになって、2011年から2年近く続けることができました。それをまとめたのが、『自殺』という本なのです。
●自殺者を悼むために書いた『自殺』
皆さんにはまだ読んでいただいていないかもしれないのですが、『自殺』という本にはあまりメッセージ性がありません。「こうしましょう」とか、「こういうふうにしよう」とか、そういうことがあまりない本なのです。あえて私がそうしようと思って書いたわけではないのですが、結果的にそのようになってしまいました。
この本で私が言いたいことは、ただ一つだけです。「自殺者を悼みましょう」ということ。悼むというのは、要するに自殺者のことを思うということですね。それで、そのことだけを書いたのです。
なぜそのように思うかといいますと、私の母親もそうですが、何か自殺というものが「悪」のような、してはいけないことだったわけです。ですから、自殺者が出た場合には、嘘の死因にする場合もあったわけです。私の知っている人で世間的に名前の出ている人だったのですが、本当は首つりだったところを「心不全」という死因にされたりしています。そのように、自殺というものが、社会的にあまりおおっぴらに言ってはいけないような雰囲気がありました。
実際に10年ぐらい前までは、マスコミでも地方自治体などでも、今のように自殺防止に関するセミナーを開いたり、「いのちの電話」をつくったりといった動きは一切ありませんでした。マスコミも自殺については一切扱わず、世の中全体が、自殺というものに対して、何かちょっと触れてはいけないもののように捉えていたわけです。
●自殺していく人は死んだ後も孤独
しかし、せ...