●「べてるの家」のミーティング
もう一つ、『べてるの家の「非」援助論』(医学書院)いう本を紹介したいのです。べてるの家を知ったのも『自殺』を書いた後です。ご存知かどうかは知りませんけれど、べてるの家は、北海道の浦河町という所にあり、日高市になるのです。日高昆布の産地で競走馬の牧場もあるのですが、他には何もない町ですね。この浦河町という所に、日赤の大きな病院があります。その病院には精神科がありまして、そこに通っている人、あるいは退院した人が3人ほどで、30年ぐらい前に浦河町の教会で共同生活を始めたのです。それがべてるの家の始まりなのです。
べてるの家はすごく面白いのです。治った方もいるのですが、要するに精神病の方が共同で暮らしているわけです。今は150人ほど一緒に暮らしています。とは言っても、150人が一緒に暮らせる家はないですから、マンションとか一軒家などに分散して、浦河町で生活をしています。
一にミーティング、二に飯より前にミーティング、といったような合言葉で、とにかく皆集まってミーティングをするわけです。何か自分が困ったことがあると、すぐに言うのですね。そうすると、皆がそのミーティングの時に本当に適当なことを言うわけです。一生懸命考えているわけではなく、ただ「自分はこう思う」というような感じです。これは、自分がそのミーティングで何か問題提起をして、それに対して皆が答えを言うわけではなく、あの人はこう思っているということを皆が共通認識する、そのためのことではないかなと私は感じたりするのです。
●本音で話すことから始まった相互理解
この30年の間に、いろいろなことがべてるの家の中でありました。もともとは、向谷地生良 (むかいやちいくよし)さんというソーシャルワーカーの方がそこに関わって、それから精神科の川村敏明先生が一緒になり、始めました。その教会には牧師さんも居たのですが、どこかに行ってしまったため、教会だけが残り、牧師が居ない教会になったのです。そこで、いろいろと紆余曲折ありながら、べてるの家というものが成長していくのです。
最初は、とにかくその町の住民ともめていました。住民は、精神病の人たちがすごく怖いわけです。実際に、暴力沙汰があって警察が来たりする。やたら人にビール瓶をぶつけるような人もいたりして、もう皆が怖がっていたのです。ただ、怖いけれども、その精神病の人たちは、昆布を詰める作業などもしているわけです。
そういう中ですが、やはりお互い相手のことが分からないので、ある種恐怖になるわけです。そこで、浦河町の住民とべてるの家の人たちが集まって、とにかく本音で話をしようということを始めたらしいのです。病気の方々は、自分はこんなことで苦労してきたとか、たくさん言うことがあるわけです。ところが、一般の浦河町の人たちで別に当事者ではもない人たちは、何も言うことがなかったりするのです。そういうようなことがあったのですが、だんだんと相手のことが分かってくると、お互いに打ち解けて、安心してくるのです。
●「やってやる」で始まった、べてるの事業
仕事は、昆布を袋に詰める作業をしていたのですが、それではいくらもお金にならず、しかも1時間ぐらいしか働けない人もいるのですね。1時間働いたらもう変なことになったり、頭がおかしくなったりして、少し休まないといけない。そういう人を使うのも非常に難しいのです。
そこで、自分たちで事業を始めようかという話が持ち上がったらしいのです。昆布を業者から買ってきて、自分たちで袋に詰めてそれを全国で売っていく。教会ルートとか通販とかいろいろありますので、そういうことを始めようということになったのです。そうしたら、その中で、「あなたたち、精神病なのにそんな事業なんてできるわけない」と叫ぶ女の人が居て、皆がけんかのようになってしまったわけですね。しかし、そう言われたことで「よし、やってやる」という感じになり、それが馬力になって事業を始めたのです。
これがうまくいって、今、利益を出していて、いろいろな事業を始めています。昆布が基本になっていますけれど、観光業もやっていますし、それから地元ではいろいろな医療器具をレンタルする店とか喫茶店も経営しており、いろいろなことをやっているのです。そんなに大きくはないですが、利益も出しています。
●苦労しないといけないという発想で団結
商売を始めた時、やはり自分たちは苦労しないといけないと、皆が思ったらしいのです。精神病の方は、大体病院の中に押し込められます。社会と隔離されるため、ある意味、仕事をしなくてもいい人たちなのです。ところが、それでは駄目だし、社会復帰のために全くならないのですが、それからもずっと病院の中で生活するこ...
(浦河べてるの家著、医学書院)