この講義シリーズは第2話まで
登録不要で無料視聴できます!
末井昭、「自殺」を語る
精神病者が一致団結、浦河町を豊かさをもたらした
末井昭、「自殺」を語る(6)「べてるの家」の可能性
哲学と生き方
末井昭(編集者・作家)
編集者・作家の末井昭氏が今回紹介するのは、北海道日高市浦河町の「べてるの家」。精神障害者が共同生活をする中で、さまざまな事業を展開し成功を収めているという珍しいケースなのだが、それを紹介する本も数多く出ており、非常に感動したと末井氏は語る。果たして「べてるの家」とはどんな場なのか。その紹介を進めながら、現代社会を生きていくためのヒントを探る。(2015年6月16日開催日本ビジネス協会JBCインタラクティブセミナー講演「私が『自殺』を書いた理由と“生きづらさ”を取り除く方法」より、全6話中最終話)
時間:13分58秒
収録日:2015年6月16日
追加日:2015年7月30日
収録日:2015年6月16日
追加日:2015年7月30日
≪全文≫
●「べてるの家」のミーティング
もう一つ、『べてるの家の「非」援助論』(医学書院)いう本を紹介したいのです。べてるの家を知ったのも『自殺』を書いた後です。ご存知かどうかは知りませんけれど、べてるの家は、北海道の浦河町という所にあり、日高市になるのです。日高昆布の産地で競走馬の牧場もあるのですが、他には何もない町ですね。この浦河町という所に、日赤の大きな病院があります。その病院には精神科がありまして、そこに通っている人、あるいは退院した人が3人ほどで、30年ぐらい前に浦河町の教会で共同生活を始めたのです。それがべてるの家の始まりなのです。
べてるの家はすごく面白いのです。治った方もいるのですが、要するに精神病の方が共同で暮らしているわけです。今は150人ほど一緒に暮らしています。とは言っても、150人が一緒に暮らせる家はないですから、マンションとか一軒家などに分散して、浦河町で生活をしています。
一にミーティング、二に飯より前にミーティング、といったような合言葉で、とにかく皆集まってミーティングをするわけです。何か自分が困ったことがあると、すぐに言うのですね。そうすると、皆がそのミーティングの時に本当に適当なことを言うわけです。一生懸命考えているわけではなく、ただ「自分はこう思う」というような感じです。これは、自分がそのミーティングで何か問題提起をして、それに対して皆が答えを言うわけではなく、あの人はこう思っているということを皆が共通認識する、そのためのことではないかなと私は感じたりするのです。
●本音で話すことから始まった相互理解
この30年の間に、いろいろなことがべてるの家の中でありました。もともとは、向谷地生良 (むかいやちいくよし)さんというソーシャルワーカーの方がそこに関わって、それから精神科の川村敏明先生が一緒になり、始めました。その教会には牧師さんも居たのですが、どこかに行ってしまったため、教会だけが残り、牧師が居ない教会になったのです。そこで、いろいろと紆余曲折ありながら、べてるの家というものが成長していくのです。
最初は、とにかくその町の住民ともめていました。住民は、精神病の人たちがすごく怖いわけです。実際に、暴力沙汰があって警察が来たりする。やたら人にビール瓶をぶつけるような人もいたりして、もう皆が怖がっていたのです。...
●「べてるの家」のミーティング
もう一つ、『べてるの家の「非」援助論』(医学書院)いう本を紹介したいのです。べてるの家を知ったのも『自殺』を書いた後です。ご存知かどうかは知りませんけれど、べてるの家は、北海道の浦河町という所にあり、日高市になるのです。日高昆布の産地で競走馬の牧場もあるのですが、他には何もない町ですね。この浦河町という所に、日赤の大きな病院があります。その病院には精神科がありまして、そこに通っている人、あるいは退院した人が3人ほどで、30年ぐらい前に浦河町の教会で共同生活を始めたのです。それがべてるの家の始まりなのです。
べてるの家はすごく面白いのです。治った方もいるのですが、要するに精神病の方が共同で暮らしているわけです。今は150人ほど一緒に暮らしています。とは言っても、150人が一緒に暮らせる家はないですから、マンションとか一軒家などに分散して、浦河町で生活をしています。
一にミーティング、二に飯より前にミーティング、といったような合言葉で、とにかく皆集まってミーティングをするわけです。何か自分が困ったことがあると、すぐに言うのですね。そうすると、皆がそのミーティングの時に本当に適当なことを言うわけです。一生懸命考えているわけではなく、ただ「自分はこう思う」というような感じです。これは、自分がそのミーティングで何か問題提起をして、それに対して皆が答えを言うわけではなく、あの人はこう思っているということを皆が共通認識する、そのためのことではないかなと私は感じたりするのです。
●本音で話すことから始まった相互理解
この30年の間に、いろいろなことがべてるの家の中でありました。もともとは、向谷地生良 (むかいやちいくよし)さんというソーシャルワーカーの方がそこに関わって、それから精神科の川村敏明先生が一緒になり、始めました。その教会には牧師さんも居たのですが、どこかに行ってしまったため、教会だけが残り、牧師が居ない教会になったのです。そこで、いろいろと紆余曲折ありながら、べてるの家というものが成長していくのです。
最初は、とにかくその町の住民ともめていました。住民は、精神病の人たちがすごく怖いわけです。実際に、暴力沙汰があって警察が来たりする。やたら人にビール瓶をぶつけるような人もいたりして、もう皆が怖がっていたのです。...
「哲学と生き方」でまず見るべき講義シリーズ
ヒトは共同保育の動物――生物学からみた子育ての基礎知識
長谷川眞理子
人気の講義ランキングTOP10
「国際月探査」とは?アルテミス合意と月探査の意味
川口淳一郎
狩猟採集生活の知恵を生かせ!共同保育実現に向けた動き
長谷川眞理子