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司馬遷の『史記』が問いかける歴史の本質
紀伝体のスタイルを確立した司馬遷の『史記』
世にあまたある歴史書のなかでも名著として必ず名前があがるのが、中国前漢の武帝時代に書かれた司馬遷の『史記』です。司馬遷が父の遺志を受け継いで執筆したこの歴史書の特徴は、「紀伝体」という記述スタイルにあります。それまでは史実を年代順に記す「編年体」が主流だったのですが、『史記』以降、人物に焦点をあて、その人となりや業績のみならず、時代の風習などについても触れる紀伝体が主流となりました。『史記』は、王や皇帝などのまつわる出来事を年代順に記述した「本紀」と、個々の人物の一生をとりあげた「列伝」を中心に構成されています。全130巻のうち、「列伝」が70巻を占めていることからも、『史記』が紀伝体の源となる書であることがお分かりいただけると思います。
では、なぜ司馬遷は紀伝体という書式をもって歴史をつづろうとしたのでしょうか。歴史学者・山内昌之氏のお話をもとに考えていきましょう。
歴史の本質に迫る究極の問い
司馬遷は『史記』のなかで、「天道、是か非か」、という実に痛切で悩ましい問いを発しています。そして、世の秩序を守らず悪行を重ねても、享楽的で物質的にも恵まれた人生を送る人と、誰からも後ろ指を指されない正しい行いを常に心がけ、楽な近道で物事を達成することのないよう自分を戒める人の双方を比較して、天の意志は必ずしも悪人に厳しく、善人に良く働くわけではない、歴史の不条理があると語っているのです。しかし山内氏は、この「天道、是か非か」は、司馬遷が神、天の意志の前には人間は何も知るすべがなく無力だと嘆いたり諦めたりたりして発した言葉ではないと言います。ましてや彼は、勧善懲悪といった単純な歴史観の持ち主でもありません。この言葉は、歴史と人間の関わり、歴史の本質を追究して止まなかった司馬遷の究極の問いだというのです。
天から降りかかった「李陵の禍」
司馬遷が「歴史とは簡単に正義を実現しない厳しいものだ」という真理に至ったのは、実は彼のある個人的体験が深く関係していたのではないかと山内氏は考えます。それは、「李陵の禍」として伝えられる出来事です。匈奴との戦いに敗れ投降した漢の武将・李陵に対し、武帝が厳しい処罰をくだそうとした時、司馬遷は李陵の人格やそれまでの国への貢献を理由に弁護をしました。しかし、李陵が逃げ延びた後、匈奴に協力しているとの誤報が流れたため、武帝は激怒。李陵一族を処刑しただけでなく、司馬遷を宮刑(刑罰としての去勢)に処したのです。つまり、司馬遷は優れた軍人を一度の敗戦で処罰すべきではないという公正な判断のもと李陵を弁護したのであって、自らが法を犯したり武帝に反意を示したわけではないのに、大変に屈辱的な体験を強いられたわけです。まさに、「天道とはなんぞや」の問いが司馬遷のなかで渦巻いたことでしょう。
紀伝体は司馬遷が選んだ必然の方法
司馬遷は、自らの身にふりかかった悲劇を通して、より歴史の本質を語るには史実を時代順に記す編年体のみでは足りないと考えたのではないでしょうか。実際に、司馬遷が『史記』の執筆にとりかかり始めたのは、父の遺言を受け継いでのことで、李陵の禍による受刑の5~6年前から書き始めていたのですが、司馬遷は獄中で自身の屈辱を耐え忍び、必ずや命長らえて『史記』を完成させることを決心したと伝えられています。そして、出獄後、司馬遷は本格的に『史記』執筆を始めました。史実を、ただあるがままに並べるだけでは足りない。けれども、歴史を天の意志によるひとそれぞれの定めと割り切るのでも足りない。厳しい歴史のなかでもがき、それでも生きていく人の姿を書きだすには、人物そのものに焦点をあて、人をとりまく一切のものも歴史の一部と考える紀伝体という方法が必要だったのです。
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