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県庁所在地が県名と異なる理由
テスト対策で都道府県と県庁所在地の名前を暗記することになった時「全ての県庁所在地が、都道府県名と同じだったらよかったのに……」と誰しも思ったはず。実は47都道府県のうち18道府県が、道府県名と県庁所在地名が異なっているのです。
<県名と県庁所在地名が違う道府県(18件)>
※東京都は含めず
・北海道/札幌市
・岩手県/盛岡市
・宮城県/仙台市
・茨城県/水戸市
・栃木県/宇都宮市
・群馬県/前橋市
・埼玉県/さいたま市
・神奈川県/横浜市
・山梨県/甲府市
・石川県/金沢市
・愛知県/名古屋市
・三重県/津市
・滋賀県/大津市
・兵庫県/神戸市
・島根県/松江市
・香川県/高松市
・愛媛県/松山市
・沖縄県/那覇市
どうして県名と県庁所在地がイコールではないパターンがあるのでしょうか?
それが1869年、明治政府によって旧幕府領は「府・県」に、各大名の領地は「藩」に改められ、藩名は城下町の名前から採用されました。「紀州」は「和歌山藩」、「加賀」は「金沢藩」といった具合です。
その藩がすべて県へと改められたのは2年後の1871年7月、いわゆる廃藩置県の時です。この時は藩名がそのまま県名となったので、どこも例外なく藩名=県名でした。この時、府県の数は305(3府302県、北海道と沖縄は廃藩置県の対象外)もあったそうです。
さすがに305府県もあっては、政府も管理が大変です。明治政府はこのあと、2回府県の統廃合を試みます。その過程で、府県名と府県庁所在地名がズレるケースが発生しはじめたのです。
そんな中、仙台県、小田原県、松江県などが意識改革の一環として、明治政府に県名を変更する旨を要請。仙台県と松江県はそれぞれ郡名をとって宮城県、島根県に、小田原県は港名をとって神奈川県となりました。(※仙台については後述あり)
また府県統合の際、城下町に県庁を置く(城下町名が県庁所在地名になる)のが政府の基本方針でした。今も県名と県庁所在地名がイコールのところはその通りなのですが、やはり地元の元藩士の抵抗によってなかなか県庁の場所が定まらなかった結果、県名と県庁所在地名が一致しなくなったケースもありました。埼玉県(県庁所在地:浦和市 ※現在はさいたま市)や石川県(県庁所在地:金沢市)などがその例です。
もちろん、すべての県名が争いによって変わったわけではなく、財政難から自ら廃藩、解体を望んだパターン(鳥取藩など)や、愛媛県のように『古事記』に登場する神様の名前を県名に採用したというちょっと面白い例外もあります。
たとえば新政府派だった薩摩藩(鹿児島県)、長州藩(山口県)、土佐藩(高知県)などは県庁所在地が県名と同じ鹿児島市、山口市、高知市であるのに対し、佐幕派だった水戸藩(茨城県)、仙台藩(宮城県)、盛岡藩(岩手県)などはご覧の通り水戸県、仙台県、盛岡県とはならず、県名と県庁所在地名が異なる結果となっています。
この説は宮武外骨という明治に活躍したジャーナリストが提唱したもので、当時大変話題を呼び、現在でもこれが正しい歴史と考える人も多いようです。とはいえ、佐幕派の代表格であった会津藩(福島県)の県庁所在地名が県名と同じ福島市であるように、疑わしい点があるのも否めません。
いかがでしたか。実は結構、複雑な事情があった県庁所在地名の謎。みなさんも今住んでいる県名や県庁所在地名の歴史を紐解くと、新たな発見があるかもしれませんよ。
<県名と県庁所在地名が違う道府県(18件)>
※東京都は含めず
・北海道/札幌市
・岩手県/盛岡市
・宮城県/仙台市
・茨城県/水戸市
・栃木県/宇都宮市
・群馬県/前橋市
・埼玉県/さいたま市
・神奈川県/横浜市
・山梨県/甲府市
・石川県/金沢市
・愛知県/名古屋市
・三重県/津市
・滋賀県/大津市
・兵庫県/神戸市
・島根県/松江市
・香川県/高松市
・愛媛県/松山市
・沖縄県/那覇市
どうして県名と県庁所在地がイコールではないパターンがあるのでしょうか?
「藩」が「県」となるまで
明治維新までは、ご存じの通り県名は○○県ではなく○○藩と呼ばれていました。でも実はこの○○藩という呼び名、江戸時代では公式な呼称ではありませんでした。それまでは単に「紀州」とか「加賀」などとだけ呼ばれていました(ごく一部で○○藩と呼ぶのが流行ったそうですが)。それが1869年、明治政府によって旧幕府領は「府・県」に、各大名の領地は「藩」に改められ、藩名は城下町の名前から採用されました。「紀州」は「和歌山藩」、「加賀」は「金沢藩」といった具合です。
その藩がすべて県へと改められたのは2年後の1871年7月、いわゆる廃藩置県の時です。この時は藩名がそのまま県名となったので、どこも例外なく藩名=県名でした。この時、府県の数は305(3府302県、北海道と沖縄は廃藩置県の対象外)もあったそうです。
さすがに305府県もあっては、政府も管理が大変です。明治政府はこのあと、2回府県の統廃合を試みます。その過程で、府県名と府県庁所在地名がズレるケースが発生しはじめたのです。
元武士の不満、デマの流布……簡単にいかなかった府県統合
国の仕組みを変えることは、国民にとっては大きなストレスです。特に戊辰戦争で明治政府と戦った元武士・藩士たちの中には明治政府の制度に抵抗感を持つ者が多く「年貢が増やされるのではないか」「異人が県政をほしいままにするのでは」などというデマが巷に飛び交いました。慣れ親しんだ藩の名前がそのまま(新制度の)県名になることに嫌悪して反対運動が起きたり、県の役人の殺傷事件が起きたりすることも……。そんな中、仙台県、小田原県、松江県などが意識改革の一環として、明治政府に県名を変更する旨を要請。仙台県と松江県はそれぞれ郡名をとって宮城県、島根県に、小田原県は港名をとって神奈川県となりました。(※仙台については後述あり)
また府県統合の際、城下町に県庁を置く(城下町名が県庁所在地名になる)のが政府の基本方針でした。今も県名と県庁所在地名がイコールのところはその通りなのですが、やはり地元の元藩士の抵抗によってなかなか県庁の場所が定まらなかった結果、県名と県庁所在地名が一致しなくなったケースもありました。埼玉県(県庁所在地:浦和市 ※現在はさいたま市)や石川県(県庁所在地:金沢市)などがその例です。
もちろん、すべての県名が争いによって変わったわけではなく、財政難から自ら廃藩、解体を望んだパターン(鳥取藩など)や、愛媛県のように『古事記』に登場する神様の名前を県名に採用したというちょっと面白い例外もあります。
嘘かまことか?「戊辰戦争報復措置説」
県名と県庁所在地名が一致しない理由について、有名な説をご紹介しましょう。それが「戊辰戦争報復措置説」。戊辰戦争で佐幕派として明治政府に抵抗した藩、もしくは曖昧な態度を示した藩は、その罰として藩名をそのまま県名にすることが許されず、強制的に改名(格下の郡名)にさせられたというものです。たとえば新政府派だった薩摩藩(鹿児島県)、長州藩(山口県)、土佐藩(高知県)などは県庁所在地が県名と同じ鹿児島市、山口市、高知市であるのに対し、佐幕派だった水戸藩(茨城県)、仙台藩(宮城県)、盛岡藩(岩手県)などはご覧の通り水戸県、仙台県、盛岡県とはならず、県名と県庁所在地名が異なる結果となっています。
この説は宮武外骨という明治に活躍したジャーナリストが提唱したもので、当時大変話題を呼び、現在でもこれが正しい歴史と考える人も多いようです。とはいえ、佐幕派の代表格であった会津藩(福島県)の県庁所在地名が県名と同じ福島市であるように、疑わしい点があるのも否めません。
いかがでしたか。実は結構、複雑な事情があった県庁所在地名の謎。みなさんも今住んでいる県名や県庁所在地名の歴史を紐解くと、新たな発見があるかもしれませんよ。
<参考サイト>
・県庁所在地はどうきめられたか(一般社団法人 歴史教育者協議会)
https://www.rekkyo.org/old_web_site/data/etc/21-26y/tiri.htm
・仙台、松江、津...。県名と県庁所在地名が異なる理由、実は...(Jタウンネット 宮城県)
https://j-town.net/miyagi/life/suumo/005729.html
・都道府県名と県庁所在地の名前はなぜ違う~愛知・宮城だけでなく千葉・秋田・鹿児島なども元は郡名だった (選挙ドットコム)
https://go2senkyo.com/articles/2020/12/15/55854.html
・県庁所在地はどうきめられたか(一般社団法人 歴史教育者協議会)
https://www.rekkyo.org/old_web_site/data/etc/21-26y/tiri.htm
・仙台、松江、津...。県名と県庁所在地名が異なる理由、実は...(Jタウンネット 宮城県)
https://j-town.net/miyagi/life/suumo/005729.html
・都道府県名と県庁所在地の名前はなぜ違う~愛知・宮城だけでなく千葉・秋田・鹿児島なども元は郡名だった (選挙ドットコム)
https://go2senkyo.com/articles/2020/12/15/55854.html
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