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『指導者の不条理』が伝える「黒い空気」の正体とその処方箋
「空気を読む」のは社会人に不可欠な資質といわれます。でも、その空気が「黒い」とき、組織は停滞してしまいます。そんな何もいえない、よどんだ状態に、あなたの組織はありませんか。
たとえば2020年4月7日。この日を新型コロナウイルス感染防止のため、東京をはじめとする7都府県に「緊急事態宣言」が出された日と記憶している人は多いでしょう。ところが同日、同じ政府により「Go To キャンペーン」が緊急経済対策として発表されました。
感染対策を徹底すれば、日本経済は破綻する可能性がある。他方、経済活動を優先すれば、新型コロナの感染が拡大する。このジレンマに苦悩した政府の意思決定でしたが、一方で不要不急の外出自粛を求め、他方で観光需要を喚起するということで、国民からの非難が相次いだのは記憶に新しいところです。
なぜ、日本の指導者たちはこのような意思決定を行ってしまうのか。そこに漂っていたのは、太平洋戦争末期と同様の不条理な「黒い空気」だった。そう分析しているのが、慶應義塾大学商学部・大学院商学研究科教授の菊澤研宗氏の著書『指導者(リーダー)の不条理 組織に潜む「黒い空気」の正体』(PHP新書)です。
軍部と令和の政府に共通の「黒い空気」とは一体どんなものなのでしょう。そして、現代の経営、仕事にもそれを生かす道はあるのでしょうか。本書をもとにその問いに迫っていきます。
ただし損得計算には、会計上に表れる「見えるコスト」だけではなく、「見えないコスト」も含まれます。現状を変化させようとすると、それに抵抗して現状に固執する勢力がつきもの。彼らを説得するためのコストがあまりに大きい場合には、あえて非効率な現状に留まるほうが「合理的」になります。これはすべての人間を「不完全で限定合理的」と見なし、人間同士で交渉取引する場合には相互にだまされないよう無駄な駆け引きが起こるという「取引コスト」理論に基づくものです。
この「合理的」判断を尊ぼうとするとき、組織は不条理な「黒い空気」に支配され、合理的に失敗することになる。それが、2020年4月の安倍内閣、そして1945年の陸海軍を支配したものの正体でした。翌2021年、ほぼ無観客で行われた東京オリンピックの開催も、同じ「黒い空気」に支配されていたのです。「人類がコロナに打ち勝った証」や「安心と安全の大会」といった当時のスローガンを「旧日本軍の指導者たちと同じ」心理から生まれた、と菊澤氏は考えています。
菊澤氏が軸足を置く経営学は、しばしば「科学ではないのではないか」と言われてきました。大学時代からそのことに不満を感じていた菊澤氏は、当時最も科学的だといわれていた新古典派経済学が「二分法」の世界でしかないという限界を発見します。
そのきっかけは、防衛大学校の教授としてさまざまな戦史を研究したことでした。合理的成功と非合理的失敗のほかに、組織には「合理的に失敗する」という側面がある。そこで、新制度派経済学、心理学的行動経済学、科学哲学などのアプローチをまじえて不条理の発生メカニズム、その不条理を回避する方法などを模索していったのです。
まさに知的挑戦の連続ですが、本書では「ダイナミック・ケイパビリティ」の戦略経営論、さらにカント哲学の「実践理性」という概念を援用して、不条理な「黒い空気」に支配されないための処方箋を提示しています。
徹底した経済合理主義者である中内は、徹底した値引き戦法と安売り戦術を武器に、価格破壊への突破口を切り開きました。一方の松下は、「経営の神様」と呼ばれるように、適正な利益を上げて国家や社会に還元するという、企業の社会的使命を最優先する経営者でした。
「価格を決めるのはお客さん。安いものを届ければ、消費者が喜ぶ」という小売業者と「技術者が汗水流して生み出した製品を安易に安売りはできない」というメーカーの譲れない闘いでした。
一切の妥協なく経済合理性を追求する中内に対し、松下のマネジメントはときに経済合理性を超えた人間主義的な側面を見せました。経済合理的に売り上げ目標を達成しようとするダイエーの組織は「命令と服従の原理」にもとづく機械的組織となり、松下電器は「自由と責任の原理にもとづく人間組織」を形成したのです。
バブル崩壊後、ダイエーはかつての存在感を失い、松下電器はパナソニックとして生き残っています。それは、松下がつねに「実践理性」によって「理論理性」を制御するマネジメントにより、多くの人々をファンにした成果だといいます。
信念、哲学、責任感。ときに「不合理」「一銭にもならない」「きれいごと」と切り捨てられる倫理感が、「黒い空気」を追いやる役割を果たしてくれるのです。
不完全な社会を生きる人間があたかも神や絶対者、あるいは中立者のような立場に立つと、価値判断や自由な批判が封じられてしまうからです。たとえば「クジラを食べるのはいいことか、悪いことか」の問いに対して、中立者の立場に立つと、「どちらも正しい」ということになり、答えはいつまでも出てきません。
それはちょうど、冒頭にあげたコロナ禍における「感染抑止」と「経済活性化」のジレンマにほかなりません。合理的に危険な道を選択してしまう可能性を排除するためには、中立的な損得計算よりも「理論理性」を「実践理性」によって制御する「重層的マネジメント」が必要になるのです。
また、空気論は安易な無責任論へと結びつきやすく、「しかたがなかった」という言葉で済まされてしまうことになります。「黒い空気」が生じたのは事実だとしても、はじめからそうした空気があり、その空気が決定したわけではありません。むしろ、人間がその空気を生み出し、それに従っていたことを認識し、一人ひとりが自分の責任を全うすることが大切になるのではないでしょうか。本書はそのための理解を重層的に深めることができる貴重な一冊です。
たとえば2020年4月7日。この日を新型コロナウイルス感染防止のため、東京をはじめとする7都府県に「緊急事態宣言」が出された日と記憶している人は多いでしょう。ところが同日、同じ政府により「Go To キャンペーン」が緊急経済対策として発表されました。
感染対策を徹底すれば、日本経済は破綻する可能性がある。他方、経済活動を優先すれば、新型コロナの感染が拡大する。このジレンマに苦悩した政府の意思決定でしたが、一方で不要不急の外出自粛を求め、他方で観光需要を喚起するということで、国民からの非難が相次いだのは記憶に新しいところです。
なぜ、日本の指導者たちはこのような意思決定を行ってしまうのか。そこに漂っていたのは、太平洋戦争末期と同様の不条理な「黒い空気」だった。そう分析しているのが、慶應義塾大学商学部・大学院商学研究科教授の菊澤研宗氏の著書『指導者(リーダー)の不条理 組織に潜む「黒い空気」の正体』(PHP新書)です。
軍部と令和の政府に共通の「黒い空気」とは一体どんなものなのでしょう。そして、現代の経営、仕事にもそれを生かす道はあるのでしょうか。本書をもとにその問いに迫っていきます。
なんと「黒い空気」は合理性を尊ぶときに生まれる
政治・軍事・経営を問わず、指導者たちの行動原理は主に損得計算に従います。与えられた状況をプラスとマイナスに解釈して損得計算し、プラスならば前進し、マイナスならば後退するというシンプルな行動原理です。ただし損得計算には、会計上に表れる「見えるコスト」だけではなく、「見えないコスト」も含まれます。現状を変化させようとすると、それに抵抗して現状に固執する勢力がつきもの。彼らを説得するためのコストがあまりに大きい場合には、あえて非効率な現状に留まるほうが「合理的」になります。これはすべての人間を「不完全で限定合理的」と見なし、人間同士で交渉取引する場合には相互にだまされないよう無駄な駆け引きが起こるという「取引コスト」理論に基づくものです。
この「合理的」判断を尊ぼうとするとき、組織は不条理な「黒い空気」に支配され、合理的に失敗することになる。それが、2020年4月の安倍内閣、そして1945年の陸海軍を支配したものの正体でした。翌2021年、ほぼ無観客で行われた東京オリンピックの開催も、同じ「黒い空気」に支配されていたのです。「人類がコロナに打ち勝った証」や「安心と安全の大会」といった当時のスローガンを「旧日本軍の指導者たちと同じ」心理から生まれた、と菊澤氏は考えています。
「不条理」とは組織が陥りがちな「合理的失敗」
本書を執筆された菊澤氏には、『組織の不条理』『命令の不条理』『戦略の不条理』(いずれも中公文庫)の3冊の「不条理」シリーズがあります。コロナ禍が象徴するように人生には不条理がつきものですが、菊澤氏のいう「不条理」は、組織がしばしば陥る「合理的失敗」を指しています。菊澤氏が軸足を置く経営学は、しばしば「科学ではないのではないか」と言われてきました。大学時代からそのことに不満を感じていた菊澤氏は、当時最も科学的だといわれていた新古典派経済学が「二分法」の世界でしかないという限界を発見します。
そのきっかけは、防衛大学校の教授としてさまざまな戦史を研究したことでした。合理的成功と非合理的失敗のほかに、組織には「合理的に失敗する」という側面がある。そこで、新制度派経済学、心理学的行動経済学、科学哲学などのアプローチをまじえて不条理の発生メカニズム、その不条理を回避する方法などを模索していったのです。
まさに知的挑戦の連続ですが、本書では「ダイナミック・ケイパビリティ」の戦略経営論、さらにカント哲学の「実践理性」という概念を援用して、不条理な「黒い空気」に支配されないための処方箋を提示しています。
ダイエーと松下の闘いから見えてきたこと
どうすれば「黒い空気」に支配されない健全な組織になれるのか。それを知るため、日本の経営史上でも有名なダイエーと松下電器(現パナソニックグループ)の対決を見てみましょう。もっといえば、それはダイエーの中内功と松下電器の松下幸之助の闘いでした。徹底した経済合理主義者である中内は、徹底した値引き戦法と安売り戦術を武器に、価格破壊への突破口を切り開きました。一方の松下は、「経営の神様」と呼ばれるように、適正な利益を上げて国家や社会に還元するという、企業の社会的使命を最優先する経営者でした。
「価格を決めるのはお客さん。安いものを届ければ、消費者が喜ぶ」という小売業者と「技術者が汗水流して生み出した製品を安易に安売りはできない」というメーカーの譲れない闘いでした。
一切の妥協なく経済合理性を追求する中内に対し、松下のマネジメントはときに経済合理性を超えた人間主義的な側面を見せました。経済合理的に売り上げ目標を達成しようとするダイエーの組織は「命令と服従の原理」にもとづく機械的組織となり、松下電器は「自由と責任の原理にもとづく人間組織」を形成したのです。
バブル崩壊後、ダイエーはかつての存在感を失い、松下電器はパナソニックとして生き残っています。それは、松下がつねに「実践理性」によって「理論理性」を制御するマネジメントにより、多くの人々をファンにした成果だといいます。
信念、哲学、責任感。ときに「不合理」「一銭にもならない」「きれいごと」と切り捨てられる倫理感が、「黒い空気」を追いやる役割を果たしてくれるのです。
中立的損得計算から「重層的マネジメント」へ
ただし、こうした倫理感と「道徳化・正当化」の違いには注意しなければならない、と菊澤氏は言います。不完全な社会を生きる人間があたかも神や絶対者、あるいは中立者のような立場に立つと、価値判断や自由な批判が封じられてしまうからです。たとえば「クジラを食べるのはいいことか、悪いことか」の問いに対して、中立者の立場に立つと、「どちらも正しい」ということになり、答えはいつまでも出てきません。
それはちょうど、冒頭にあげたコロナ禍における「感染抑止」と「経済活性化」のジレンマにほかなりません。合理的に危険な道を選択してしまう可能性を排除するためには、中立的な損得計算よりも「理論理性」を「実践理性」によって制御する「重層的マネジメント」が必要になるのです。
また、空気論は安易な無責任論へと結びつきやすく、「しかたがなかった」という言葉で済まされてしまうことになります。「黒い空気」が生じたのは事実だとしても、はじめからそうした空気があり、その空気が決定したわけではありません。むしろ、人間がその空気を生み出し、それに従っていたことを認識し、一人ひとりが自分の責任を全うすることが大切になるのではないでしょうか。本書はそのための理解を重層的に深めることができる貴重な一冊です。
<参考文献>
『指導者(リーダー)の不条理 組織に潜む「黒い空気」の正体』(菊澤研宗著、PHP新書)
https://www.amazon.co.jp/dp/4569853676/
<参考サイト>
菊澤研宗氏のブログ(ダブルKのブログ)
http://kikuzawa.cocolog-nifty.com/
『指導者(リーダー)の不条理 組織に潜む「黒い空気」の正体』(菊澤研宗著、PHP新書)
https://www.amazon.co.jp/dp/4569853676/
<参考サイト>
菊澤研宗氏のブログ(ダブルKのブログ)
http://kikuzawa.cocolog-nifty.com/
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