●72歳の私が元気な理由は和食にあり
皆さん、こんにちは。私は食文化論家で、今ひとつ発酵学と両方をやっている小泉武夫と申します。
多くの人は、日本経済新聞の「食あれば楽あり」という連載をご存じでしょう。もう23年続いていますが、その間私は1回も休載がありません。ずいぶん長くしてきたものだと思っております。
なぜいきなりこんなことを言ったかというと、私はもう72歳ですが、これほど若い。その理由はなにか、とみんなに聞かれるのです。それは、やはり食生活なのですね。特に私の場合は、小さいときから和食以外は食べさせられないような家で育ったのです。
親父、私の父が言った言葉の中で非常によく覚えていて、生涯続けて実践しているのが、「日本人になりきれ」という言葉でした。私の親父は、第二次世界大戦では陸軍の両角部隊の中でも相当えらい隊長でして、戦争が終わって帰ってきてから私を厳しく育てました。その親父が言ったのが「日本人になりきれ」。
どういうことを言っているのだろうと考えましたが、日本人になりきれということは、まず食生活から日本人になれというのだろうと思い、私はそれからずっと日本人が昔から食べてきた「和食」という文化を踏襲して、ここまできたのです。この72年間、大きな病気もしないで、今でも本当に現役バリバリです。座ったままで硬式ボールをセカンドに投げられるぐらい、元気な私なのです。
●和食が世界遺産に登録された本当の理由は?
一昨年(2013年)の12月に、和食が世界遺産(ユネスコ無形文化遺産)に登録されました。そこで世界遺産について少しお話ししておきますが、和食が世界遺産になったのは、日本人が素晴らしい文化として「和食」をつくったことに対する顕彰の意味ではないのです。そうではなく、世界遺産は「保護遺産」なのです。
日本人はこれほど立派な素晴らしい和食の世界をつくってきたのに、今はどんどん洋食化されているではないか、と。このままずっといったら、この国からは和食が消え、みんなもう朝から夜までパンを食べ、肉を食べるような民族になるのではないか、と。それではかわいそうだし、文化的に問題があるから、民族の文化としてユネスコが守ってやろうといって、世界遺産というものをつくっているわけです。
今の日本人の間では和食と洋食の比率がどのぐらいで分かれているかというと、たとえば朝の食事では「ごはんと味噌汁型」が51パーセントです。パンやハムエッグ、サラダにドレッシングという洋食系が49パーセント。ところが、この49パーセントは下から上がってきての49パーセントなのです。和食型の51パーセントは、上から下がってきた数字です。もうそろそろ逆転しているのではないかとも思われます。そのような状況の中、日本人は和食をどんどん忘れているのではないか、ということです。
●伝統食は民族の体と心をつくる「民族の遺伝子」
実は、和食を食べないのは損です。なぜかというと、私がこんなに元気なのを見れば分かるように、そもそも和食は、これを食べる民族に対して元気をつくるための食事だからです。それを、われわれ日本人は忘れているのです。
どんな民族も、2種類の遺伝子で出来上がっています。1本は「民族の遺伝子」で、日本人は皆、共通して同じ遺伝子を持っています。だから日本人の顔色は皆同じで、同じ「日本人の顔」となっています。生まれたときにはお尻に青いあざがあったはずで、これも日本人の証です。これらを「民族の遺伝子」と呼びます。
今ひとつは「家族の遺伝子」によるもので、一人一人の顔や性格が違います。お父さん、お母さん、お祖父ちゃん、お祖母ちゃん、曾祖父、曾祖母などの遺伝子が入っているのですが、これはひとまず脇に置くことにしましょう。
「民族の遺伝子」が大切なのはなぜかというと、例えば食物に関していえば、約3000年という長期にわたり日本民族が食べてきたからで、日本人の体も心もそれを食べることによってつくられてきたからです。そういう状況で、日本人はここへきてがらっと変わってしまいました。日本人が3000年間食べてきた質素な和食がそうであるように、どんな民族であっても、その生活環境に対応できる体と心をつくるために、「民族の遺伝子」が働いているのです。
●日本人が長年適応してきた七つの「民族の食」
ところが、21世紀に入る少し前、20世紀の半ばぐらいからどんどん和食が消えてきて、洋食化されてきました。そのため、現在ではそのような食べ物に実は適応できていない人が大量に出てきているのです。遺伝子的に適応できないわけです。
なぜかというと、ほんの80年・90年前を思うと、われわれの中にはステーキのような形で肉を食べたり、パンを食べた...