●誰も定義できない「伝統木造」
「木造建築」と言ったときに、日本には1400年以上の木造の歴史があります。法隆寺をスタートにするとよく言われているのですが、皆さんの頭の中に浮かぶ木造建築とは、同じようで違うのです。これが実は大問題なのです。皆、木造建築の話を会議でしていて、最後にふっと「話がかみ合わないよね」というときは、皆、頭の中で思い描いている木造像が違うのです。山小屋のようなものや、前回お見せした地方にあるようななんだか快適な別荘のようなもの、それから今度は、大量生産の戸建て住宅かなと思ったり。あるいは、体育館やドームのようなものがあったり、また、茶室のようなもの、そして、この応接室のような重厚な空間も木でできているわけです。でも、それらは皆、木でできているのですが、全然雰囲気が違うので話がかみ合わないのです。だから、そこをまず真面目に考えなければいけない。
日本には古くからの伝統木造の歴史があります。この場合に思い浮かべるのは、法隆寺や東大寺大仏殿といった建物です。かやぶき屋根の農家型の民家。京町家、宿場町などの町家型の民家。こういうなんとなくガイドブックの世界のようなものを見て、伝統木造というと、皆さん「こんな感じかな」と思うのです。
でも、伝統木造とはそもそも何なのか。今、建築基準法の中でも「伝統木造を守らなければいけない」というわけで、法律に乗せていかなければいけないのですが、実は誰も伝統木造を定義できないのです。皆さんの頭の中で思い描いているものが違う。古いものを伝統木造と言うかどうかなんですね。
●文化の香り、技術の洗練度が決め手
ここに木造の住宅を四つ並べています。この辺は、先ほど言ったように町家型や農家型で、なんかもう「伝統木造です」ということになるんですけれど。では、これ。竪穴式住居。これも木造の住宅なんです。でも、これは3000年前のものです。これはきっと伝統木造とは言ってもらえないですよね。そこから少し時代がたって、高床式倉庫。これも多分駄目ですね。でも、正倉院と言うと、「おっ」という感じになるわけです。
ですから、「古い」ということが伝統木造ではなく、「何か」があるわけです。その何というのは、実は技術なのです。この辺の竪穴式住居の頃は、穴を掘って丸太を刺して、それから横に丸太を流し、縄とか蔓で縛って造る程度です。高床式倉庫もちょっとずつ作業的なことをするのですが、「積む」という作業は実は原始的なわけです。なんだか文化の香りがしないと伝統木造ではないかな、ということです。町家型とか農家型になると、木と木を組み合わせる継手仕口というのが生まれて、宮大工の世界で、釘と金物を使わないでもぴたっと入ります。そうすると、なんだか胸を張れるわけですね。ということは、実はその文化や技術の洗練度というものが、そのものの建築の価値にもなってくるわけです。
●在来軸組工法も伝統木造も技術的には同じ
ただ、ここで共通しているのは、木という材料を使っているので、線材、棒で造られているのです。柱や梁と言われているものです。そういう軸組構法が日本の文化です。ヨーロッパへ行くと石で造るので、壁がたくさんあり、壁式構造になるわけです。日本は線材で造る。
ですが、その軸組構法が、ずっと時代を追って、江戸時代ぐらいから現代のこういう在来軸組工法と呼ばれるものになります。「在来」というのは「今の」という意味で、工法は時代とともに変化するので呼び方としては微妙なのですが、在来軸組工法の建物が出てきます。実はこれが建築業界では評判が悪いのです。なんか悪者なんですね。実は世の中の大部分はこの工法でできているのに、「なんか文化の香りがしない」と言うんです。金物を使ったり、合板や接着剤を使ったりして造っている。「お前ら、伝統木造のことを忘れたのか?」ということです。実は技術から見たら、これは柱と梁を使った軸組構法なので、伝統木造と変わらないのです。
●「在来」と「伝統」の違いは進化の向き
では、何が違うかというと、進化の向きが違うのです。伝統木造というのは、よく本に書いてあるように、建物を造る時には山に行って、「この木は柱に向いてる木です」「この木は梁に向いてる木だ、」あるいは、「どこそこの斜面に生えている木はどっち向きに使え」などと書いてあるわけです。ですが、よく考えてみると、家を造ると言ってから山に行くということは、そこから山で木を伐るわけです。そして、乾燥させて製材をして建物にすると考えると、家を造りたいんです、と言ってから3年ぐらいかかるんですね。2、3年。今「家を造りたい」と言って「3年後に竣工します」と言ったらどうするかというと、「お帰りください」ですね。「お宅には頼みません」となる...