●松下電器創業以来の大赤字という危機
次に、松下電器産業株式会社(現パナソニック株式会社)での体験ということで、「オートモーティブ事業の立ち上げ」についてお話しします。経営の舵取りを過つと、会社の規模が大きくても小さくても、落ち込むときのスピードというのはほぼ一緒のように私は思うのです。ただ、違うのは、規模が大きい会社というのは、気がつくのがどうしても遅くなるということが、実は私の体験からありますので、その話を恥ずかしながらさせていただこうかなと思っています。文字通り、陸に打ち上げられたクジラがのたうつような経験をしましたので、その時の失敗の軌跡と、それから、風土改革だけに絞り込んで多少業績が上向きになったという、その辺りの話をさせていただきたいと思います。
「創業前夜」と書いてありますけれども、オートモーティブ社の創業前夜ということです。2001(平成13)年の松下電器全体の状況は、結局2000(平成12)年の決算で4300億円という、創業以来の非常に大きな赤字を出しました。私もこの時は本社の役員の端くれだったのですが、会社が倒産するという危機感が出てきました。しかし、この大阪で何十年も松下電器に勤めていますと、「松下さんがつぶれるときは日本がつぶれるときだよ」、などということを巷で言われまして、多少なりともそんな気持ちがありました。
●「重複・重い・遅い」から「破壊と創造」への脱皮
その時の社内の状況ですが、「重複」、それから「重い・遅い」。松下幸之助創業者がつくった事業部制は当初三つだったのですが、実際は140以上の事業部にどんどん増えてきたのです。事業部は自主責任経営だという名の下に、同じ商品を異なった事業部で開発するようになりました。いっぱい事業が重なっていたわけです。だから、販路も重なり、経費はそれだけかかる。重複金額は1兆円を超えたと言われています。
アメリカの調査会社によると、衰退する企業には、「傲慢、自己満足、内部議論、摩擦を恐れる」と、この四つの特徴があるそうです。松下電器は、多分この四つ全部があったのだと思いますけれども、一つあっても、二つあっても、やはり会社というのはおかしくなる。これが、当社の中に蔓延していた隠れた風土だったと思います。
そして、中村邦夫社長が就任されました。「破壊と創造」――ヨーゼフ・シュン...