●断定を避けるのが、哲学的な態度である
哲学とは、普段当たり前だと思っていることに少し深い問いを立てることで、当たり前だと思っていることが実は必ずしも当たり前ではないことを理解する、それを大きな眼目の一つとしている学問なのです。「原因と結果」を今シリーズでは主題として挙げましたが、これらは実はそれほど自明なことではないということです。
万人が哲学者になってしまうと、社会の物事が全く進まないので、それはあまり好ましいことではないでしょう。でも時々は、物事を冷静に見てみることです。哲学的である態度とはちょうど正反対の態度は、断定してしまうこと、そう思い込んでしまうことです。それは哲学とは反対の態度です。「これはこうである」と断定し、それ以外は受け付けないという態度は、非哲学的な態度なのです。
どんな考え方であっても、必ず哲学的に考えると「そうではないのではないか」という疑問が成り立ちますし、その疑問を浮かび上がらせる議論は十分に可能です。「絶対に正しい」とか「確実にこうである」と思い込んでしまう態度は、非常に非哲学的な態度です。
●「ないこと」は社会に大きな影響を与える
一方で、確固たる信念を持って物事を進める人物、リーダーシップを持って進めていく人物は、社会には絶対に必要だと私も思います。そうでなければ、社会は進まないからです。ですがその中でも、ごく少数の、マイナーな人々がいることも大切です。「ほぼ全員がそう思っているけれど、みんなが賛同してそちらに国家や社会が向かっているけれど、でも実はそうでない見方もあるのではないか」ということを密かに思い、チャンスがあればその思いを伝え、発信する。そうした作業をする人が、たとえわずかなパーセンテージであれ、いることが健全であり、社会の安全を考えると良いことではないかと私は思います。
とりわけ政治的なことに関わったりすると、熱狂やポピュリズムという現象があれば、そちらの方へバーッと進んでしまいやすい。それも人間の本性の一つなのですが、その中にわずかでも哲学的な考え方をする人がいても良いのではないかと思います。
そうしたことが顕在化する例として、「ないこと」、すなわち不作為が重要な事例になるということを話しました。実際に「ないこと」は、時として重大な影響、重大な変化をもたらします。例えば、アメリ...