●少年時代の二つの経験
こんにちは。東京大学の哲学研究室に所属している一ノ瀬正樹といいます。本日は哲学に関する話ということで、私が主題的に研究している因果関係、原因と結果について、お話ししたいと思います。
タイトルは「原因と結果の迷宮」をメインにしました。これは私が以前に出版した本のタイトル(『原因と結果の迷宮』:勁草書房)とそのまま同じです。因果関係というものは、われわれが普段思っている以上に理解するのが難しい。これを暴き出すことをもくろんでいます。
まず個人的なことから話した方が取っつきやすいでしょう。なぜ私が、因果関係の問題を主題的に研究するようになったのかについて、触れたいと思います。
中学生の時に漠然とした思いを抱いたことがきっかけです。一つ目は、中学1年生の頃に日本脳炎の予防注射をした時のことです。まだ子どもだったので、予防注射をした日、友だちと大汗をかいて遊んでしまったのです。すると夜、とても高熱が出てしまいました。その時、頭の中で「日本脳炎」という言葉とともに、とても恐怖を感じた経験をしました。その時に感じたのは、「ああ、あんなに汗をかいて遊ばなきゃよかったのに」ということでした。「遊んだ報いなのだな」というのが、高熱が出たことに対する、当時の私の理解だったのです。
もう一つあります。これも中学生の頃だったと思いますが、テレビで「本日、誰々の死刑が執行されました」というニュースを聞いたことがありました。死刑は今日の主題ではありませんが、日本の場合、死刑は今も存置しています。しかし、かつては(執行に関する)公的な報道はありませんでした。そのため、メディアはいろいろな情報網を使い、「今日、どこそこの拘置所で死刑が執行された」ということをニュースにしていました。今はだいぶ変わってきていて、公的な報道もあるのですが、当時はそういう感じでした。
私はそのニュースを聞いた時、「これは、この犯人が殺人事件や凶悪な犯罪など、そういうものを犯したがゆえに、こういう刑に服することになったんだな。これも報いなんだな」と理解したのです。しかしその時、同時に「はて、この死刑をすることで、どういう形で問題が解決されたことになるのかな」という非常に不可解な感覚を、子どもながらに覚えました。本当の意味で殺人事件が解決されるとはどういう意味なのか。私は...