●10代にしてスッラを心底おびやかしたカエサル
カエサルという人は一種のカリスマ性を持っており、歴史の中でもおそらく5本の指に入るぐらいの大変な人物だったのではないかと思います。いろいろな伝説が残っています。例えばマリウスとスッラが対立していた時、カエサルは10代の若者で、マリウスの縁者に連なる所にいたわけです。そのためスッラからは、マリウス派の一派だと見なされていました。ですから、マリウス派を制圧していく過程において、カエサルは若者でしたが、やはり「殺せ」というぐらいの指令を出すわけです。
ところが周囲の人間は「いや、まだカエサルは若いから、(殺すほどの)ことはない」と言って、それを止めるのです。その時にスッラは、「あいつの中にはマリウスが何人も潜んでいるぞ」と言ったそうです。それが本当にスッラの言葉だったかどうかは別にして、そういう伝説が残るほどの要素をカエサルが持っていたということです。
●弁論術の伝統を持つ欧米、論じることが苦手な日本
それから彼は、政治的天才の中でも特に弁論術に優れていたといわれています。弁論術はギリシャ・ローマ時代から培われてきた人を説得する技術で、欧米世界では二千数百年の伝統を持っています。人を説得するためにはそれなりの技術がいるということで弁論術が磨かれていき、現代においても教育の中でディスカッションし、相互に意見を交わしていく技術として使われているのです。
ところが日本人は、そうした技術をほとんどと言っていいぐらい持っていないのです。最近でも英語教育において、英語をもう少し磨いてディスカッションするようにと指導しているらしいのですが、なかなかうまくいかないといいます。私は、そもそも英語をやる前に日本語でちゃんとした議論ができていない人たちがいくら英語をやっても、それはできないのではないかと思います。
もちろん、そこには日本的な良さというものが関係します。日本には「和をもって尊しとなす」や「沈黙は金」、あるいは腹芸というものがあります。議論を尽くして唾を飛ばし相手をやっつけて納得させるということが日本人は不得意で、うまくありません。それは良いとか悪いとかいうよりも、そういうものによって培われてきている日本人のメンタリティがあるのです。その良さを生かした上で、ヨーロッパや中東、あるいはインドの人たちを相手にやっていくというのは、大変なことなのです。
これはジョークでよくいわれることですが、国連事務総長になったら2つだけ注意しなければいけないことがあるそうです。1つは「インド人はいかに黙らせるか」、もう1つは「日本人にいかにしゃべらせるか」ということです。そうしたジョークでいわれるほど、日本人は(議論や弁論が、)たしかに不得意なのです。
●たった一言で兵隊の騒動をしずめたカエサルの弁論術
一方、欧米社会には、古代ギリシャにデモステネスがいて、それからカエサルの同時代人としてもキケロがいます。そのキケロですら、カエサルには一目置いていたというのです。カエサルの演説は、キケロのような弁舌爽やかで華麗な言葉を並び連ねるような、そういう弁論術ではなく、実に簡潔に的確に、そして鋭く相手の急所を突くというものでした。伝えられるところでは、キケロ自身が「一生かかって修辞学、レトリックを学んでも、カエサルに近づくことはできない」といったぐらい彼に一目置いていたのです。
また、近代のドイツの歴史学者テオドール・モムゼンは(ガリア戦記のことを)「これほど見事な劇はない」と評したのですが、そのガリア戦争において、長く戦争が続いてくると、(いくら指揮官が)カエサルといえども、兵隊たちは次第に疲弊してきます。そうなると、彼らもいろいろ文句を言いたいし、ぜいたくなことも言いたい。早く戦争をやめて、なんとか良い待遇を受けたい。そこをこれまでもなんとか抑えながら戦争に勝ってきたわけですが、兵隊たちのそうした不平不満がだんだんと増幅してきた時、ちょっとした騒動が起こりました。最初は部下たちがそれを抑えに行ったのですが、うまくいかないので最終的にカエサルが出てくることになります。
カエサルは、それまで兵隊たちに対して「戦友諸君」と呼び掛けていました。どこに行っても「戦友諸君」と言っていたのです。これは兵隊たちからすれば、将軍カエサルが自分たちにそういう呼び掛けをしているというのは大変なことなのです。ところがその騒動を起こした兵隊たちの前に立った時、カエサルは一言「ローマ市民諸君」と呼び掛けました。それまで親しみを持って「戦友諸君」と呼び掛けていたところを、「ローマ市民諸君」と呼び掛けたことは、その発言が正式なものであるとしても、兵隊たちからしてみれば、大変よそよそしいものに感じられたはずです...