●日本は欧米を追い越して、長寿社会のトップランナーとなった
東京大学高齢社会総合研究機構・特任教授の秋山弘子です。ご存じのように長寿社会には、認知症や医療、介護、買い物難民といった、いろいろな課題があります。しかしそこには同時に、私たちの祖父母の時代には想像できなかったような、新しい可能性もあります。今日はその両方について、お話しします。
人口の中で65歳以上の人が占める割合を高齢化率と言いますが、このグラフは1950年から2050年の100年間の高齢化率の推移を国際的に比較したものです。赤い点線が日本です。第二次世界大戦が終わった直後の1950年には、高齢化率は約5パーセント、20人に1人が高齢者でした。現在は約27パーセントで、およそ4人に1人が高齢者になっており、非常に急速に人口が高齢化しています。
赤い線が一番上に来ていますが、現在日本は欧米を追い越して、長寿社会のトップランナーになりました。また日本と同じように、アジアの他の国々も急速に高齢化してきています。これが今の世界の状況です。
●100年生きるという覚悟を持たなければならない
現在、日本人の平均寿命は男性が80歳、女性が87歳で、「人生100年時代」と言われるようになりました。私たちは100年生きるという覚悟を持たなければならない、という意味で「人生100年時代」といわれます。
しかも、私たちは単に長生きするようになっただけではなく、元気に長生きするようになっています。このグラフは東京都健康長寿医療センターの調査結果によるもので、データは厚労省の報告書から引用しましたが、1992年と2002年の高齢者の歩行スピードを比べた場合、11歳ほど若返っていることが分かります。つまり、2002年に75歳だった人は、その10年前の1992年に64歳だった人と同じほどのスピードで歩くようになったのです。
このように私たちは、単に長生きするだけでなく、元気で長生きするようにもなっています。これは歩行スピードに限りません。握力や他の身体機能、認知機能においても、同じような若返りが報告されています。
ご存じのように、今年(2017年)の初め、日本老年学会が高齢者の定義を65歳ではなく75歳にすべきだ、という立場を表明しました。65歳~74歳の人は准高齢者、高齢者の予備軍で、75歳からが高齢者だというわけです。こうした予備軍の人たちは、今は高齢者と呼ばれていますが、今後は社会に支えられる側から社会を支える側に回って皆で働こう、という提言です。
●個人の課題は人生100年の設計である
私は常々、長寿社会の課題は3つあると主張しています。1番目は個人の課題、2番目は社会の課題、そして3番目が産業界の課題です。
個人の課題は、人生100年の設計です。日本では、織田信長の時代の頃、自身が「人生50年」と仕舞で謡ったという話もありますが、それはさておき第二次世界大戦が終わる頃まで人生50年といわれた時代が非常に長く続きました。しかし、20世紀後半になると急速に平均寿命が延び、人生100年の時代を迎えました。人生が倍になったわけです。
また人生50年時代には、人の生き方は大体決まっていました。ほとんどの人は教育を終えて就職し、結婚・出産・子育てを経て、定年まで勤める。そして定年後にはもうそれほど人生が残されていない。これが人生50年の生き方でした。ところが、今は人生の自由度も増えました。結婚するかしないか、いつ子どもを産むか、一度就職しても転職するかどうかなど、こうしたことが最終的には個人の選択の問題だと考えられるようになりました。一人一人が自分の100年の人生を設計し、かじ取りをしながら生きていくという時代に移行しているのです。
ところが、学生に「あなたたちはうらやましい。私が若い頃にはそういう自由はなかった」と言うと、皆「ああ、そうか」という顔をしながらも、決してうれしそうではありません。やはり、自分で人生を設計してかじ取りをしていくことが、かなり不安なのでしょう。それはモデルがないためで、どうしていいのか分からないのです。この点に、個人の課題があります。しかし、100年あれば、いろんな設計ができます。例えば、まったく違うキャリアを2つ持つということも十分可能です。二毛作人生、あるいは三毛作人生も可能かもしれません。それぐらい多様な人生が設計できます。
また、最後に自分らしく死ぬということも個人の課題です。今までのように家族任せ、お医者さん任せではなく、自分の人生の最後をどのように締めくくりたいのかということも、人生設計として考えた方が良いでしょう。これは、個人が今後解決していくべき課題だと思います。
●社会のインフラを長寿社会対応に作り替える必要がある
2番目は社会の課題です。今の社会のインフラは、人口がピラミッド型をしてい...