●ギリシャからヨーロッパへ、科学文明の源流をたどる
科学文明の大本は、古代ギリシャにあるといわれています。宗教や占いのようなものとは別に、また実利あるいは得をするか損をするかというところからも離れて、世界を客観的・総体的・普遍的・合理的に説明しようとしたのです。そういうことを考える人はいろいろな文明にたくさんいたはずですが、そういう人々が優勢を占めて文明になったのは古代ギリシャではなかったかということです。
ただ、その中にはあまり実験や観察は含まれておらず、論理的で合理的な説明体系しかありません。そのように思弁的に考えるだけではなく、現実において実証的な仮説検証を伴う普遍的な説明に向かおうとしたのは、17世紀以降のヨーロッパではないかといわれています。つまり、近代科学の発祥の地は17世紀以降のヨーロッパだということです。
もちろんインドや中国など、どの文明世界でも、実証的な仮説検証を行い、普遍的な説明体系を構築しようと考えた人はいたでしょう。ただ経済や政治など、いろいろな条件が重なり、そういう人の言うことが優勢を占めるようになった文明は、17世紀以降のヨーロッパが最初ではないかと考えられます。
科学の考えは、まず古代ギリシャから始まります。問題解決の方法として、仮説を出す。その改訂をどんどんしていく。そのために議論をして、みんなでもっと良い説明はないかを話し合う。また、何らかの説明を「これは神様(の命令)だから」といった権威による無条件の受け入れはせず、説明力の高さで仮説を評価していく。
ということで、みんなで議論しながら一つの結論に至るので、これは「集合知」です。一人が考えるのではなく、みんなで行う集合知という方法は、とても強いことだと思います。これが古代ギリシャで始まったことなのですが、ここにはまだ実験や観察が入っていません。
●近代科学の創始者、ベーコンとデカルト
17世紀の「近代科学」には、二人の柱がいたといわれています。
一人は、イギリスの哲学者、フランシス・ベーコンです。ベーコンは実験や観察を非常に重視し、科学の方法として完成させようとしました。現象をきちんと観察しないと真実には到達できないだろう、頭で考えているだけでは駄目だろうと、ベーコンは考えたのです。
しかし、観察自体が人間の行うバイアスのかかった仕事です。人間は視覚優位なので匂いや他の何かがおろそかになったりしますし、観察だけではいろいろなものに眼をくらまされてしまいます。そこで、彼はきちんと体系立てた観察をするための定型化を行いました。いろいろな事実を書き出し、それらを集めて結論を出すのが「帰納法」ですが、その有効性は、どのように得られるのかということで、経験的な法則を見いだす方法を最初に考えた人がベーコンなのです。
もう一人はルネ・デカルトです。有名なフランスの哲学者ですが、彼は実際の世の中をどう観察するかではなく、論理的な体系をつくるときにどうすれば間違わずに明証的に論理展開ができるかということを、一生懸命に考えた人です。数学を基礎として、確実で間違いのない、明らかな論理をどうやって作っていくのかということで、彼は「演繹法」を考えました。
●近代科学の優れた基礎が、すごい技術を生み出した
近代科学は、この二人の考えが柱となって発展します。観察によって現象を正確に把握する。論理的な仮説を提出する。仮説と実験によって、論理的に実証や反証を行う。さらに、全ての自然科学の知識は一貫して整合性があるべきである。物理学で通用することが生物学で通用しないなどの矛盾はあってはならず、概念的な一貫性があるべきだ。そのようなことが、近代科学の基礎となっているわけです。
これ自体はすごいことだと思いますし、科学がすごい技術を生み出して、すごい社会をつくったことも確かです。このように、近代科学の方法を使って自然界を解明していく作業は、おそらくこの先もずっと続けられると思います。
解明しようとする事柄に「バウンダリー(境界)」が決まっているときに役立つのは、言語に基づく論理的分析能力です。科学では、先ほど言ったようにみんなで議論をしながらいいものを選り分けていく集合知を用いるので、非常に強い結果が生まれてきて、次々に解明が進んできたのだと思います。
●科学の原動力は「知りたい」という好奇心?
しかし、この作業を行っているのは脳みそです。なぜ科学的探求などがしたいのか。その原動力は「知りたい、説明したい、納得したい」という欲求であり、「きれいに説明できると嬉しい」という快感です。逆に「説明できない」「分からない」状態は不愉快です。好奇心も欲求の一側面ですから、科学の原動力は欲求であり情動であるといえるでしょう。
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