●戦争体験者の高齢化と活字離れの時代に向けて
困ったことには、戦争体験者が高齢化して、今やいよいよ残り時間がほんのわずかというときを迎えております。間もなくするうちに、戦争の直接の語り部は時間切れになるのではないでしょうか。つまり、戦争をご存じない方ばかりの世代になるということです。
かく言う私も、今日が誕生日で86歳になりました。友達の多くが次々とあの世へ旅立っていってしまいました。さらに、これまで随分、語り継ぎのための資料は残してきたけれども、活字離れの時代になり、新聞も本もあまり読んでもらえない時代になってしまいました。
それならば、時代を先取りして、東京大空襲の資料館ができないかと考えました。記録集を作る間にたくさんの資料を寄せてもらいましたから、資料はかなり貯まっています。それらを活用することで最小限のミュージアムができれば、そこが継承(語り継ぎ)の一つの要になりはしないか。そういうことで、「東京大空襲・戦災資料センター」を立ち上げようとしたのが16年前(2002年)です。
●篤志家の土地提供と、民間募金による賜物
運動が広がり新聞記事に取り上げられたため、それを知ったある女性が「そういう有意義な試みだったら、土地を提供しましょう」と申し出てくれました。それが現在、江東区北砂にあるセンターの基礎になりました。
あの用地180坪は、一女性の無償提供によるものです。ただ、それを私が個人でもらってしまうと、贈与税でにっちもさっちもいかなくなります。やはり財団法人でなくてはいけないということで、学者たちのグループである「政治経済研究所」というところに頼み込んで、引き継いでもらうことにしました。
全部の土地は使わず、かなりの部分を残しておいて、民間募金を募ることにしました。大資本家がお金を投じてくれるとは思えませんから、なけなしの金をはたいてでも民間の力で、どんなに小さくてもいいから、東京大空襲を後の世代に語り継ぐ要たる「東京大空襲・戦災資料センター」を、ということで、募金集めを行いました。目標1億円で、2年はかかったでしょうか。
そうして立ち上がったのが現在の施設ですが、予算は1億の予算です。今では1億円のマンションがざらにあるように、鉄骨3階建てのマッチ箱を立てたような建物しかありません。会議室はあるけれども、せいぜい50人入ればもう満杯...