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戦争体験を語り継ぐ東京大空襲の資料館

東京大空襲と私(3)東京大空襲・戦災資料センター設立

早乙女勝元
東京大空襲・戦災資料センター名誉館長/作家
情報・テキスト
戦後70年以上たった現在、戦争の記憶を「知らない世代」へ継承していく手法が注目されている。1945年3月10日の東京大空襲以来、その体験の共有を生涯にわたって追求してきた東京大空襲・戦災資料センター館長で作家の早乙女勝元氏は、戦争体験者の高齢化と若者の活字離れを早くから予測し、「東京大空襲・戦災資料センター」の設立に取り組んできた。(全3話中第3話)
※撮影協力:東京大空襲・戦災資料センター
時間:07:55
収録日:2018/03/26
追加日:2018/08/01
≪全文≫

●戦争体験者の高齢化と活字離れの時代に向けて


 困ったことには、戦争体験者が高齢化して、今やいよいよ残り時間がほんのわずかというときを迎えております。間もなくするうちに、戦争の直接の語り部は時間切れになるのではないでしょうか。つまり、戦争をご存じない方ばかりの世代になるということです。

 かく言う私も、今日が誕生日で86歳になりました。友達の多くが次々とあの世へ旅立っていってしまいました。さらに、これまで随分、語り継ぎのための資料は残してきたけれども、活字離れの時代になり、新聞も本もあまり読んでもらえない時代になってしまいました。

 それならば、時代を先取りして、東京大空襲の資料館ができないかと考えました。記録集を作る間にたくさんの資料を寄せてもらいましたから、資料はかなり貯まっています。それらを活用することで最小限のミュージアムができれば、そこが継承(語り継ぎ)の一つの要になりはしないか。そういうことで、「東京大空襲・戦災資料センター」を立ち上げようとしたのが16年前(2002年)です。


●篤志家の土地提供と、民間募金による賜物


 運動が広がり新聞記事に取り上げられたため、それを知ったある女性が「そういう有意義な試みだったら、土地を提供しましょう」と申し出てくれました。それが現在、江東区北砂にあるセンターの基礎になりました。

 あの用地180坪は、一女性の無償提供によるものです。ただ、それを私が個人でもらってしまうと、贈与税でにっちもさっちもいかなくなります。やはり財団法人でなくてはいけないということで、学者たちのグループである「政治経済研究所」というところに頼み込んで、引き継いでもらうことにしました。

 全部の土地は使わず、かなりの部分を残しておいて、民間募金を募ることにしました。大資本家がお金を投じてくれるとは思えませんから、なけなしの金をはたいてでも民間の力で、どんなに小さくてもいいから、東京大空襲を後の世代に語り継ぐ要たる「東京大空襲・戦災資料センター」を、ということで、募金集めを行いました。目標1億円で、2年はかかったでしょうか。

 そうして立ち上がったのが現在の施設ですが、予算は1億の予算です。今では1億円のマンションがざらにあるように、鉄骨3階建てのマッチ箱を立てたような建物しかありません。会議室はあるけれども、せいぜい50人入ればもう満杯という状況でした。


●修学旅行の生徒に伝えたい、弱者の体験


 それではやはり、いくら何でも狭すぎます。修学旅行の生徒が全国から来るようになりました。彼らこそ、受け入れるべき未来の世代です。そこで平和の種まきをするためには、修学旅行の生徒が100人は入れる会場が必要だということで、倍増しようと考えたのです。

 またお金がかかります。また1億円です。雲をつかむようなお話で、私は身の細る思いでしたけれども、何とかかんとかもう1億円を集め切って、施設を倍増した形で現在のセンターが建ち上がりました。

 センターでは、10万人が死んだ炎の夜の惨劇を、女性や子どもという社会的に最も弱い人たちはどうであったのか、というところから伝えていこうと考えています。これまでは、戦争体験者が直に自分の体験を語っていたのですが、だんだんその体験者が減ってきたため、いよいよボランティア・ガイドに頼らざるを得ません。

 「ひめゆり平和祈念資料館」も、原爆の資料館も、共通の問題を抱えているでしょう。そうした施設とも提携して、いろいろな知恵を授かりました。


●「一本の鉛筆があれば」に託した決意


 現在は、全く体験のない方が来ても分かりやすく、また感動していただけるよう、展示のリニューアルに入ったところです。展示のためには、建物自体のリニューアルも必要ということで、それは2018年、何とかやり遂げました。今度は展示のリニューアルです。2018年の夏までに完成の予定でしたが、そのために内外の知恵をかき集めており、少し遅れています。

 そういう状況を迎えて、私の心を今よぎるのは、美空ひばりさんの「一本の鉛筆」という歌です。「一本の鉛筆があれば戦争はいやだと私は書く」。これは、松山善三さんの作詞です。松山善三さんを知らない方もたくさんいると思いますが、高峰秀子さんの旦那さんで、映画監督でもあります。

 この歌にちなんで、「一本の鉛筆があれば3月10日に亡くなっていった声なき声のあなたを返せと私は書く」。そういう決意で、この日、この時を迎えております。
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