●硫黄島の死闘そして玉砕、直接本土爆撃へ
ところが、アメリカは、まだ手を緩めないのです。硫黄島です。沖縄の第2軍司令官である牛島満中将の参謀長・長勇少将は、「カロリン諸島ヤップ基地を出発した機動艦隊が2月中に沖縄に来る」という情報をもたらしたのですが、その予想は外れて、機動艦隊は2月19日朝、硫黄島に上陸を開始しました。硫黄島は、東京、サイパン双方から1,200キロのちょうどいい所にあり、これを手に入れたら中継基地になって、B29もとても安心して飛べるというわけです。
日本軍は2万3,000の兵力、第109師団、栗林忠道中将守備。海空の支援なし。米軍はまず、延べ3,300機による空襲を行い、上陸日だけでも8,000発の艦砲射撃。戦車2,000両とともに1万名、後に海兵3個師団が上陸。死闘は摺鉢山の日本軍陣地をめぐって展開。砲撃戦と戦車隊の攻撃で山谷の形状が変わるほどだった。3月初めに、守備隊は火砲、戦車のほとんどが破壊されてしまいました。指揮官は65パーセントが死傷、3万人いた兵員は1割になりました。3月17日、栗林中将は「もはや、これまで」と、辞世の歌を3首残して800名とともに出撃し、玉砕しました。5日後に硫黄島には米軍の巨大爆撃機が10機進出し、直接本土爆撃に向かいました。
●戦艦「大和」の最後
そうなると、日本軍はもうガソリンも何もありません。米軍が沖縄上陸したというので、「制空権がないのに行くのは止めた方がいい」という議論もありましたが、なけなしの戦艦「大和」以下、巡洋艦1、駆逐艦8での海上特攻を指令しました。これに乗っていたのは、命令をした豊田副武連合艦隊司令長官です。この時、山本五十六長官はもうブーゲンビルで亡くなっていますからね。
4月6日午後、日本海軍最後の重油1,500トン――これは沖縄までの片道プラスアルファだそうです――で防府市沖を出撃。豊後水道を抜けて沖縄に向かったが、早くからその行動はB29とアメリカ潜水艦に探知されており、翌7日午後、上空援護のないまま8波、350機の艦上積載機による雷撃を受けて、魚雷9発と多くの直撃弾を浴び、魚雷の左舷集中で、最後の傾斜角度は90度。「大和」には1発1艦必殺の徹甲弾(装甲に穴を空けるために設計された砲弾)があって、1発ぶち込むと戦艦が沈むと言われていたんですね。それから、1発10機必墜の三式弾。合計2,000発の誘爆を引き起こし、約6,000メートルの大火柱...