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慶應義塾大学 名誉教授による講義「敗戦と復興の現代史」
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なぜ広島と長崎に原爆が落とされたのか…その真の理由

敗戦から日本再生へ~大戦と復興の現代史(7)原爆投下の真の目的

島田晴雄
慶應義塾大学名誉教授
概要・テキスト
公立大学法人首都大学東京理事長・島田晴雄氏による島田塾特別講演シリーズ第7話。日本軍は、当初の勢いを失い、敗戦の色を次第に色濃くしていた。硫黄島、沖縄戦、そして東京大空襲、原爆投下の史実とその背景を知る。実は、日本の敗戦を決定付けた原爆投下には、当時の二大大国の勢力争いが深く関係していたのだ。(2016年7月8日開催島田塾第137回勉強会島田晴雄会長講演「敗戦、占領、そして発展:日本は異民族支配からいかにして再生したか?」より、全13話中第7話)
時間:07:20
収録日:2016/07/08
追加日:2017/07/26
タグ:
≪全文≫

●硫黄島の死闘そして玉砕、直接本土爆撃へ


 ところが、アメリカは、まだ手を緩めないのです。硫黄島です。沖縄の第2軍司令官である牛島満中将の参謀長・長勇少将は、「カロリン諸島ヤップ基地を出発した機動艦隊が2月中に沖縄に来る」という情報をもたらしたのですが、その予想は外れて、機動艦隊は2月19日朝、硫黄島に上陸を開始しました。硫黄島は、東京、サイパン双方から1,200キロのちょうどいい所にあり、これを手に入れたら中継基地になって、B29もとても安心して飛べるというわけです。

 日本軍は2万3,000の兵力、第109師団、栗林忠道中将守備。海空の支援なし。米軍はまず、延べ3,300機による空襲を行い、上陸日だけでも8,000発の艦砲射撃。戦車2,000両とともに1万名、後に海兵3個師団が上陸。死闘は摺鉢山の日本軍陣地をめぐって展開。砲撃戦と戦車隊の攻撃で山谷の形状が変わるほどだった。3月初めに、守備隊は火砲、戦車のほとんどが破壊されてしまいました。指揮官は65パーセントが死傷、3万人いた兵員は1割になりました。3月17日、栗林中将は「もはや、これまで」と、辞世の歌を3首残して800名とともに出撃し、玉砕しました。5日後に硫黄島には米軍の巨大爆撃機が10機進出し、直接本土爆撃に向かいました。


●戦艦「大和」の最後


 そうなると、日本軍はもうガソリンも何もありません。米軍が沖縄上陸したというので、「制空権がないのに行くのは止めた方がいい」という議論もありましたが、なけなしの戦艦「大和」以下、巡洋艦1、駆逐艦8での海上特攻を指令しました。これに乗っていたのは、命令をした豊田副武連合艦隊司令長官です。この時、山本五十六長官はもうブーゲンビルで亡くなっていますからね。

 4月6日午後、日本海軍最後の重油1,500トン――これは沖縄までの片道プラスアルファだそうです――で防府市沖を出撃。豊後水道を抜けて沖縄に向かったが、早くからその行動はB29とアメリカ潜水艦に探知されており、翌7日午後、上空援護のないまま8波、350機の艦上積載機による雷撃を受けて、魚雷9発と多くの直撃弾を浴び、魚雷の左舷集中で、最後の傾斜角度は90度。「大和」には1発1艦必殺の徹甲弾(装甲に穴を空けるために設計された砲弾)があって、1発ぶち込むと戦艦が沈むと言われていたんですね。それから、1発10機必墜の三式弾。合計2,000発の誘爆を引き起こし、約6,000メートルの大火柱...
広島・長崎への原爆投下
アメリカの真の目的とは?

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