●5.占領軍と政党政治の関係 公職追放令
それから、もう一つ、「占領軍と政党政治の関係」があります。
1946年1月4日、幣原喜重郎が病気だった間に大変なことが起きています。突然、「公職追放令」というものが行われたのです。戦争に関わった軍人、政治家、警察、行政関係者など4,000人を全部一掃する。このリストを誰がつくったかというと、GHQの命令によって日本政府が行いました。これによって旧政党指導者は、ほとんどいなくなります。そして3カ月後、それを象徴するような出来事が起きています。
1946年4月10日、占領下にあるとはいえ戦後初めての本格的な総選挙が行われました。鳩山一郎率いる日本自由党が圧勝したので、鳩山首相を天皇陛下に推奏することになります。そして5月4日、大命降下がなるという当日に、鳩山の手元に追放令が届いたのです。彼はそれから5年間、涙を飲んで政界から姿を消し、その間に吉田茂が存在感を誇示するわけです。
●日本の戦後を動かそうとしたニューディーラーたち
公職追放が行われた理由は、民政局が「ニューディーラー」だったからです。コートニー・ホイットニーやチャールズ・ルイス・ケーディスをはじめとした人たちは、「旧日本の保守政治は、日本を戦争に導き、いろいろな差別を生み、構造問題をつくった原因である」と考えていました。戦後、自由党や改進党が発足しましたが、それを構成する人たちは皆、戦前から活躍した人たちばかりです。そのために、民政局は労働組合を始め、ソ連に逃げていた社会党、民主党、共産党などに期待をかけたわけです。
それで、吉田内閣がスキャンダルで退陣した後は、片山哲の社会党内閣が成立します。彼は東大卒の弁護士であり、大正デモクラシーの民主化運動でも大活躍した人です。西尾末広のバックアップもありました。片山内閣が失脚した後は、芦田政権になります。首相は、クリスチャンで外交官の芦田均。憲法草案にも一度手を入れた経歴があり、非常にリベラルな人物ですが、社会党寄りの人でした。
民政局は、こういう人々を自分たちの意図を実現するために一生懸命押していったわけです。お偉いマッカーサーは日本のことなど知らず、「I am Douglas MacArthur」と言えたらそれでいい人ですが、彼らは多少は勉強していました。先のヘレン・ミアーズなどから言わせると「あんたたちは、浅知恵で何をやるのよ」...