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南進論、東條内閣、ハルノート…日米開戦の経緯とは?

敗戦から日本再生へ~大戦と復興の現代史(2)日米開戦‐危うい政治体制と決断

島田晴雄
慶應義塾大学名誉教授/テンミニッツTV副座長
概要・テキスト
公立大学法人首都大学東京理事長・島田晴雄氏による日本の敗戦、占領、経済復興を考えるシリーズ講話。第2回は戦後日本を論じる前に、そもそもなぜ日本がアメリカとの開戦に至ったのか、知っているようで実はよく知らない開戦への経緯と背景を知ることから始める。そこには昭和天皇はじめ、開戦をなんとか回避しようとする大いなる努力があった。(2016年7月8日開催島田塾第137回勉強会島田晴雄会長特別講演「敗戦、占領、経済発展:日本は異民族支配からいかに再生したか?」より、全13話中第2話)
時間:16:29
収録日:2016/07/08
追加日:2017/07/15
≪全文≫

●日米開戦への道をたどる


 ここで、皆さんと考えたいのです。一体、なぜ日本はこのような状況に直面しなければならなかったのか。これは滅亡の危機なのです。それは言うまでもなく、太平洋戦争、大東亜戦争があったからですね。

 ここで、少し時間を取りますが、そもそもなぜ日米は戦争をしたのか。両国がどう戦って、どう行動したのか。この戦争は何をもたらしたのか。皆さんと一緒に、やや詳しく振り返ってみたいと思います。私たちは戦争のことをかなり知っているつもりですが、実はあまり知らないのではないでしょうか。一度、おさらいをしてみたいと思います。


●近衛内閣発足-南進論推進と日独伊三国同盟調印へ


 日米開戦までの危うい政治体制と決断についてです。1940年7月、米内光政内閣が総辞職し、重臣会議で陸軍の受けが良い近衛文麿公爵が推されて、17日、大命降下しました。18日、東条英機が陸相に推されます。近衛文麿内閣の課題は、「南進論」と「日独伊三国同盟」。

 南進論とはどういうものかというと、「実力でも物量でも勝るはずの日本軍が、なぜ中国を屈服できないのか」という考えに基づいています。その理由の一つとして、援蒋ルートによる東南アジアからの蒋介石支援物資と資金の流れがあったことが挙げられます。当時、援蒋ルートというものがあったのです。東南アジアから中国に物資やお金が流れていました。もう一つは、石油を輸入に頼る日本の石油確保への不安です。そこで、援蒋ルート遮断とインドシナの油田ならびに戦略資源の確保の狙いから、南進論が主張されたのです。

 40年9月23日午前0時、大本営陸軍の命令で、第22軍司令官・久納誠一中将が指揮する第5師団が、若干の戦闘はあったものの、北部仏印、つまりベトナムに進駐します。ナチ・ドイツに敗れてパリを占領されていたヴィシー亡命政権に、日本に抵抗する力はなかったのです。さらに、ヨーロッパ西部戦線でドイツの電撃戦が素晴らしい成功であったため、これに動かされて、近衛内閣は9月27日、日独伊三国同盟に調印しました。


●山本五十六の大局観と硬化する対日外交


 山本五十六連合艦隊司令長官は1940年10月14日に軍情を上奏、つまり天皇に報告するために上京したのです。その時、西園寺公望の秘書の原田熊雄男爵と食事をしたのですが、そこで「アメリカと戦争するということは、ほとんど全世界を相手にする...
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