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慶應義塾大学 名誉教授による講義「敗戦と復興の現代史」
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太平洋戦争末期、制空権を失った日本の作戦と敗北

敗戦から日本再生へ~大戦と復興の現代史(6)アメリカの大攻勢と敗戦続く日本

島田晴雄
慶應義塾大学名誉教授
概要・テキスト
第一次ソロモン海戦
日米戦争の後半は、日本にとって悲報の連続である。ガダルカナルの攻防、インパール作戦、マリアナ沖海戦、レイテ作戦はどのように戦われたのか。公立大学法人首都大学東京理事長・島田晴雄氏が主宰する島田塾の特別講演から伺っていく。(2016年7月8日開催島田塾第137回勉強会島田晴雄会長特別講演「敗戦、占領、経済発展:日本は異民族支配からいかに再生したか?」より、全13話中第6話)
時間:16:41
収録日:2016/07/08
追加日:2017/07/24
≪全文≫

●ガダルカナルは日米双方にどんな意味があったのか


 ガダルカナル島の攻防を話します。このあたりから日本の状況は、悲しくなる一方です。1942年初頭以来、日本軍は、南西太平洋のニューブリテン島、ニューギニア島東部、ソロモン諸島の占領を企図して、ニューブリテン島の中心ラバウルを攻略します。

 『さらばラバウル』という曲がありますよね。年輩の人しか知らない歌かと思いますが、「また来るまでは~」という感じです。

 日本軍はオーストラリア軍基地ポートモレスビーを手中にして、日米開戦以来、海上輸送によりアメリカの対日反攻基地化しつつあるオーストラリアとアメリカのつながりを断ち切ろうと努めていました。ガダルカナル戦争のもとは、ここにあったわけです。

 日本軍はツラギ島というガダルカナル島の対岸に飛行場適地を発見し、8月上旬までに滑走路1200メートル×50メートルの良質舗装を行います。そのような基地が造られるのは、アメリカから見るととんでもないことで、オーストラリアの危機を招き、企図していた作戦遂行にも支障をきたします。その作戦とは、南西太平洋の島々を制圧し、北上してフィリピンを経由、やがて日本本土を目指す「ウォッチタワー作戦」のことです。そのため、米軍は全力を挙げてガダルカナル基地の奪還を目指しました。


●アメリカの迅速な攻撃、一木支隊の参入


 1942年8月7日夜明け、アメリカ側の第1海兵師団など1万8000人が、戦艦1隻、空母3隻、巡洋艦13隻、駆逐艦多数の艦隊に守られて、ガダルカナル、ツラギ両島に上陸作戦を開始します。日本のガダルカナル守備隊は240人、ツラギ島航空兵400人、飛行場設営隊が2400人ほどです。戦った日本兵士は玉砕し、あとはジャングルに逃走しました。

 この頃、陸軍首脳部はなんと海軍のガダルカナル飛行場建設を知らされていませんでした。ミッドウェー海戦の惨敗も秘密にされて、知らされていなかったのです。そのため、彼らはアメリカ軍の本格的対日反攻を1943年中期以降と予測していたのです。

 こうなってしまったら仕方がありません。ミッドウェーに注ぎ込もうと考えていた一木支隊(第7師団の歩兵第28連隊。東北出身者が多く、精鋭とされていた)がトラック島に送られ、第17師団の指揮下に入りました。アメリカ側から「タフガイ」と呼ばれる海兵第一師団です。8月20日から21日にかけて、北の精鋭対タフガ...
ガダルカナルからレイテ作戦まで
その失敗はどこにあったのか?

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