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慶應義塾大学 名誉教授による講義「敗戦と復興の現代史」
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ドゥーリトル空襲は日米の心理を揺さぶった

敗戦から日本再生へ~大戦と復興の現代史(4)ドゥーリトルに始まる米軍の反撃

島田晴雄
慶應義塾大学名誉教授/テンミニッツTV副座長
概要・テキスト
急降下爆撃を受けて炎上する空母「飛龍」(ミッドウェー海戦にて)
太平洋戦争の緒戦は日本軍の目覚ましい進撃が続いたが、やがて米軍の装備も整い、戦局は転換期を迎える。ここではドゥーリトル東京爆撃からミッドウェー海戦にいたる米軍の反撃、日米形勢逆転の様子を、公立大学法人首都大学東京理事長・島田晴雄氏が主宰する島田塾の特別講演から伺っていく。(2016年7月8日開催島田塾第137回勉強会島田晴雄会長特別講演「敗戦、占領、経済発展:日本は異民族支配からいかに再生したか?」より、全13話中第4話)
時間:07:55
収録日:2016/07/08
追加日:2017/07/19
≪全文≫

●日米の心理を揺さぶったドゥーリトル空襲


 ここからアメリカは、とんでもない反撃に出てくるわけです。戦争準備が遅れていたアメリカですが、この頃には国力を生かして相当に装備ができていました。そこで、太平洋戦争初期の不利な戦局を一挙挽回するため、また日本の空母を怖がっていたチャーチル首相から、「太平洋に引きつけておいてくれ」と言われたため、ばくちに近いような大胆な作戦を打ちました。

 それが日本から926キロメートル離れた洋上の空母搭載機による日本本土への夜間空襲です。航続距離の長い陸軍機、しかも双発の大型飛行機が空母から発進したのは前代未聞のことでした。

 1942年4月18日朝、ハルゼー中将率いる空母「ホーネット」「エンタープライズ」は、巡洋艦と駆逐艦に守られながら全速力で日本本土に接近。途中、監視艇に発見されたものの、これを撃沈しました。そして、夜間ではまずいと認識したのか、白昼の空襲に踏み切ります。

 航続距離の長い陸軍機は、ノースアメリカン社の双発爆撃機16機で、指揮官はジェームズ・ドゥーリトル大佐です。これらは、東京上空に12機、名古屋と四日市に2機、神戸に1機など、いずれも低空を飛びましたが、日本は高射砲も迎撃機も効果がなく、帝都の守りのもろさが暴露されたわけです。16機80名は、中国の非日本占領地区とロシアに不時着し、8名が死亡しましたが、ドゥーリトル大佐はじめ71名が生還します。

 実際の効果はほとんどない作戦でしたが、日米にとって心理的な効果は莫大でした。アメリカは「We can do it」と戦意を高揚させ、日本は「やばい」と気付きます。


●太平洋戦争の分水嶺になったミッドウェー海戦


 その後に起こるのが、太平洋戦争の分水嶺になったミッドウェー海戦です。これはご存じの方も多いと思いますが、少し解説をしていきます。

 連合艦隊司令部は、ミッドウェー島を陸軍と共同で占領し、来たるべき「ハワイ攻略作戦」に備える作戦を持っていました。ミッドウェーに次いでハワイも占領し、そこからアメリカ本土を攻撃して、講和に持ち込もうと考えていたわけです。さらに、真珠湾攻撃で逸したアメリカの空母艦隊が出てきたら、これも壊滅しようという計画でした。つまり、ミッドウェー占領と空母艦隊撃滅の「二兎」を追ったわけです。

 大本営は1942年5月5日、山本連合艦隊司令長官に対し、陸軍と協力してミ...
ミッドウェー海戦で決定的な
敗北を喫してしまった理由とは?

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