●日米の心理を揺さぶったドゥーリトル空襲
ここからアメリカは、とんでもない反撃に出てくるわけです。戦争準備が遅れていたアメリカですが、この頃には国力を生かして相当に装備ができていました。そこで、太平洋戦争初期の不利な戦局を一挙挽回するため、また日本の空母を怖がっていたチャーチル首相から、「太平洋に引きつけておいてくれ」と言われたため、ばくちに近いような大胆な作戦を打ちました。
それが日本から926キロメートル離れた洋上の空母搭載機による日本本土への夜間空襲です。航続距離の長い陸軍機、しかも双発の大型飛行機が空母から発進したのは前代未聞のことでした。
1942年4月18日朝、ハルゼー中将率いる空母「ホーネット」「エンタープライズ」は、巡洋艦と駆逐艦に守られながら全速力で日本本土に接近。途中、監視艇に発見されたものの、これを撃沈しました。そして、夜間ではまずいと認識したのか、白昼の空襲に踏み切ります。
航続距離の長い陸軍機は、ノースアメリカン社の双発爆撃機16機で、指揮官はジェームズ・ドゥーリトル大佐です。これらは、東京上空に12機、名古屋と四日市に2機、神戸に1機など、いずれも低空を飛びましたが、日本は高射砲も迎撃機も効果がなく、帝都の守りのもろさが暴露されたわけです。16機80名は、中国の非日本占領地区とロシアに不時着し、8名が死亡しましたが、ドゥーリトル大佐はじめ71名が生還します。
実際の効果はほとんどない作戦でしたが、日米にとって心理的な効果は莫大でした。アメリカは「We can do it」と戦意を高揚させ、日本は「やばい」と気付きます。
●太平洋戦争の分水嶺になったミッドウェー海戦
その後に起こるのが、太平洋戦争の分水嶺になったミッドウェー海戦です。これはご存じの方も多いと思いますが、少し解説をしていきます。
連合艦隊司令部は、ミッドウェー島を陸軍と共同で占領し、来たるべき「ハワイ攻略作戦」に備える作戦を持っていました。ミッドウェーに次いでハワイも占領し、そこからアメリカ本土を攻撃して、講和に持ち込もうと考えていたわけです。さらに、真珠湾攻撃で逸したアメリカの空母艦隊が出てきたら、これも壊滅しようという計画でした。つまり、ミッドウェー占領と空母艦隊撃滅の「二兎」を追ったわけです。
大本営は1942年5月5日、山本連合艦隊司令長官に対し、陸軍と協力してミ...