●アメリカにおける情報科学の進展と経済成長
教育が経済成長につながった一番の顕著な例は、アメリカにおける情報科学です。
このグラフにおける赤い丸は、アメリカの大学院で情報科学の修士号を取得した学生の数を表しています。1970年には年間2000人で、そこから徐々に増えていき、1990年には1万人、2000年には2万人になりました。
前回お話しした光触媒は、20年にわたる基礎研究と10年にわたる企業での研究開発を経て事業につながりました。科学技術や教育には非常に時間がかかります。この灰色や黒っぽい丸は、マイクロソフトMicrosoftやアップルAppleの売上高を指しています。これらの企業は70年代に情報科学に力を入れ始めたのです。このグラフから結論付けるのは短絡的かもしれませんが、この時期のアメリカでは、「これからはハードウエアではなくソフトウェアが中心となる」という考え方の下、戦略的に情報科学に舵を切っていきました。
教育に対する投資のリターンはすぐに生じるものではありません。大学院を卒業した後、すぐに会社で即戦力になるのがもちろん望ましいのですが、それはなかなか難しいことです。大学院を卒業し、高度な専門性を備えた人が企業に入って15~20年がたち、30代半ばから40代になったときに、最も脂が乗り切った企業人として仕事ができる状態になります。そうした専門性を備えた職業人が一定の数に達したときに、マイクロソフトMicrosoftやアップルAppleの売上高はこのグラフのように伸びて行くのです。これによって、シリコンバレーがソフトウェアで花開いたということができます。
●日本は、情報科学に力を入れ始めるのが遅かった
このように、アメリカは将来の産業にとって何が重要かを見越し、教育や科学技術に対する先行投資を行っていきました。それに対して日本はどうだったのでしょうか。アメリカとの比較をしたものが、このグラフです。
赤が、アメリカの大学院でコンピューターサイエンスの修士号を収めた人の数です。それに対して青が日本です。日本では修士号を取っているとしても、どの分野で取っているかは判然としておらず、質的な保証もできないという議論があります。また残念ながら、私の調査では、日本の大学院でコンピューターサイエンスの分野で修士号を取った人間の数は分かりませんでした。したがって、この調査ではその代わりに、「情報」という名前が付く大学院の定員の数をプロットしました。修士課程を出た人でなく、入った人、つまり定員の数をデータとして利用したのです。
グラフを見ると、1990年以前は日本における「情報」と名前がつく大学院の定員数はほぼゼロだったことが分かります。これは大学が情報系の教育を全くしていなかったということではなく、例えば機械工学の中のメカトロニクスなどの分野で、情報系の項目を教えたり、統計分析をする中でデータを扱う部門があったでしょう。しかし、少なくともコンピューターサイエンス(情報科学)に特化した大学院は、1990年以前にはありませんでした。
1990年代に入ると、先ほどのグラフでも話題に出したように、シリコンバレーが非常に注目されていきます。日本でもハードではなくソフトウェアに力を入れないと、国として立ち行かないのではないかという考えが生まれていきます。「シリコンバレーでは、どうも最近すごいことが起きているらしいよ」ということで、情報系の教育に力を入れ始めたのが1990年代です。
●後追いで科学技術や教育に力を入れるため、常に遅れを取っている
これは、光触媒のケースと非常に近い状況だといえます。米国では、将来の産業や社会を見据え、先行投資として科学技術や教育に力を入れました。日本の場合は海外で何か市場が立ち上がってから、初めて「どうもこの分野が重要らしい」と、後追いで科学技術や教育に力を入れます。このことによって非常に遅れが生じているのです。
現在ではAI、人工知能、IoTなどが産業社会のキーワードになっていますが、国としてもこれらの分野に非常に力を入れています。先に見た15年から20年の教育政策の遅れは、現在では数年程度に縮まっているかもしれません。しかし、その差だけでなく、国の戦略を決めていくところに根本的な問題があるのではないかと思わざるを得ません。
●情報爆発と急激な変化で、科学技術のブレイクスルーが予測困難に
光触媒やAI、情報科学の話から始めましたが、それでは今後、どのような分野に力を入れていくべきなのでしょうか。これを見定めるのは容易ではありません。その難しさには、4つの原因があると私は考えています。
1点目は、情報の爆発と変...