●トランプ大統領の一国主義を一概に批判できないわけ
皆さん、こんにちは。
前回は北東アジアから中東、ヨーロッパに広がる現代の危機という問題におけるアメリカのドナルド・トランプ大統領の役割について、ゲーリー・クーパーの『真昼の決闘』とのアナロジーで話す機会がありました。
人間というのは非常に勝手なものです。トランプ大統領に対して普段かなり批判している人(私を含めて)も当然多いわけです。しかし、トランプ氏のアメリカファースト(アメリカ国民ファースト)自体は、一国平和主義といって良いものですが、その一国平和主義を是とする日本人が、トランプ氏のこの一国主義への回帰、あるいはモンロー主義、すなわち19世紀アメリカの孤立主義への回帰ということになると、それを批判する人々が海外で多いというのは、まことに不思議な現象です。
つまり、アメリカという国について、何かをゲーリー・クーパー的に全て解決してくれると思っている。そして、自分たちは舞台の裏手や脇の方にいて、その結果を見ている。こうした見方は、ウクライナやシリアの情勢において、結局正面から遠慮会釈なく立ち向かってきたロシアの攻勢を受ける側になると、EUやアラブの国々はそれに対して向かい合うということはなく、結局行きつくところはトランプ大統領の姿勢に不平や不満を漏らす。このような有り様であったわけです。
●現実を直視せずアメリカの未介入に反発するのはお門違い
韓国の今回の対応は確かに非理性的であり、かつ現実的にもあり得ないことを語っています。場合によっては、これはねつ造ではないかということさえ、考えられます。そのような問題について、日本と日本人は直視するよりも、まず日韓の友好が絶対的なものであるという「日韓友好絶対モード」ともいうべきスタンス(これを哲学的にいうならば、ある意味で「超現実的世界」と名付けることができると私は思いますが)、こういう超現実的な世界にひたる一部の日本人の中には、今度は「アメリカが助けてくれない。あるいはアメリカが調整に当たってくれない。日米安保条約はだから信用できない」というような反発をする人たちがいます。
日米安保条約のそもそもの理念、目的、対象範囲と、この日韓の紛争というものをごちゃごちゃにしているという見方もこうして出てくるのですが、これはお門違いというものです。
●トランプ、オバマ両大統領の言動には似ている点がある
『真昼の決闘』ではまさに善のために、ゲーリー・クーパー扮する保安官が銃を抜くわけですが、もし、他国のために銃を使うゲーリー・クーパーをアメリカに期待するならば、それは正義や秩序を大義名分としているとはいえ、実際に犠牲を出すアメリカ人、特にアメリカの若者にとって必ずしも心地良いものではありません。そのような心地良いものではないということに関して、トランプ大統領はある意味で非常に無骨であり、かなり下品ではありますが、何もアメリカ人がそこで犠牲になる必要はないのだということを、非常に分かりやすい言葉で、特にアメリカの白人層などに語りかけているのだろうと思います。
例えば、人権や民主化という問題を語るという点で、これはまさにトランプ大統領には縁のない世界だといわれています。しかし、イランの反体制デモやシリアにおけるアサド大統領に対する反対運動、ひいてはアサド大統領による市民への毒ガスの使用に対して沈黙、無視し、「もしその後レッドラインを越えるならば介入する」とさえ公言したバラク・オバマ前大統領、あるいは時代をさかのぼれば第二次世界大戦のプロセスと結果において、東ヨーロッパや中部ヨーロッパをスターリンとの妥協や取引に使い、そのスターリンの非常に独裁的かつ共産主義的な不自由な世界につくり変えて、それを認めたフランクリン・ルーズベルト大統領、彼らにしても、現地の市民や市民に対する抑圧、人権の侵害を無視したという点では、誇れるというものはあまりないと思います。
こうした点では、彼らはトランプ氏と同じです。あるいは、トランプ氏には偽善がない分、オバマ氏やルーズベルト大統領は偽善というものにあふれているということが目立つような気がしてなりません。
●シリアのクルド人を見捨てることで懸念される混乱
オバマ氏とトランプ氏はシリアにおいて一つ共通した行いをしています。それはアメリカ軍が地上軍兵力を投入しない、できないということです。そこで、代用として頼りにしたクルド人についてどうするかという問題が浮上しますが、ウラジーミル・プーチン大統領との取引において、クルド人を見捨てる可能性が過去もあったように、今回も彼らを犠牲にするかもしれません。トランプ大統領に対する批判は、そのときにこそ私たちは強くするべきですし、トランプ大...