●餓鬼道を推進する現代
―― 経済成長とか効率性とか、そんなことばっかりいっているうちに、駄目になっていったのですね。
執行 そこなんです。その経済と効率です。要は幸福になりたいのです。60年以上、哲学的に悩んで結論づけているのは、日本人は「幸福病」なのです。経済成長したい、成功したいというのは、要は幸福になりたいということです。
だから、僕が本に書いているのは、とにかく「不幸になってもいい」と思う人生観をみんなが取り入れないと、日本人は立ち直れないということです。みんな失敗しろ、しくじれ、人生は捨てろ、不幸になれ、ということを全部にいっているのです。
なぜかというと、すべて「幸福になりたい」ということから出ている間違いが、僕は戦後の間違いだと思っているからです。よくよく聖書やお経などを読むと、例えばキリストのような宗教家がいっていたことは、全部「自我を捨てろ」ということです。自我は、本当はなければ駄目なものです。それでも、キリストも釈迦も捨てろという。
僕も随分悩みました。僕も自我が強い人間ですから。僕は武士道が好きなので、自我で「俺はこう生きる」というので生きようとしている。それなのに僕は非常に昔から宗教家には感応するものがあるわけです。
それで、宗教も好きだから、宗教の本をたくさん読んでいくと、キリストも釈迦もみんな「自我を捨てろ」という。「ふざけるんじゃない」と思って、ずっと精神的に対決してきました。法然や日蓮にもそうです。それで大人になり、40歳とか50歳になって悟ったことは、「自我を捨てろ」とは、要は「自分の幸福」「自分が幸福になりたい」ということを捨てろといっているのだ、ということです。そう、自分なりに腹に落ちたわけです。
そのとき気がついたのは、幸福というのは、「他人に対して願い、祈る」概念なのです。だから、考えてみたら「自分が幸福になりたい」というのは、一番戒められていたエゴイズムなのです。「エゴイズム」というと言葉が悪いので、駄目だということは分かる。しかし、これが「幸福」という名に代わると悪い概念ではないので、だから戦後の日本人はみんなそれに飲み込まれてしまったのだと思うのです。
でもその実態を見たら、要はエゴイズムなのです。仏教でいうと「我利我利亡者」。餓鬼道や修羅道などに落ちた人間を、「我利我利亡者」といいます...