●白隠はただ独りで坐った
――白隠禅師の話を少ししていただけますか。
執行 白隠は、いわば日本の禅の中興の祖です。今、日本人は「禅は日本文化と切っても切り離せない」などと偉そうなことをいっていますが、白隠がいなかったら少なくとも臨済禅は日本に一つも残っていません。臨済禅を日本で建て直したのは白隠だけです。
白隠は江戸時代中期の人ですが、彼がすごいのは自分の幸福、自分の成功を全部捨てたことです。江戸時代中期は臨済禅の最盛期で、妙心寺を中心にすごい権威を持っていました。社会的にいうとお坊さんが偉くて、みんな金持ちになって、すごい生活をしていた。そのときに白隠はただ一人、自分だけの禅、まったく報われない禅をやろうと思い、慧端(えたん)という人の弟子になったのです。
慧端は長野にいた僧で、やはり同じようにまったく報われない禅を自分の家でやっていた。親孝行で、母親と二人暮らしで母親の面倒を見て、あとは自分一人で禅をするだけ。そんな人に弟子入りしたのです。そうした自分一人だけで、禅で生きるという生き方を初めてやったのが、至道無難、慧端、白隠という三人です。
彼らは臨済禅の中では変わり者で、臨済禅は本来、集団で勉強します。大学まであり、みんながそこで勉強するのです。そうした時代にあって、「自分が座禅をしていればいい」ということで、自分だけの禅をやった。それが至道無難と慧端で、それを白隠が受け継いだのです。
白隠は清水の近くにある松蔭寺で、ただ一人だけの禅をやり、近くの農民とつきあっているだけでした。白隠の最後の弟子が遂翁と東嶺で、彼らが白隠の志をつないで、今につながっています。だから臨済禅全部の祖なのです。白隠がいなかったら、もう臨済禅は日本からなくなっています。
変な話ですが、ものすごく成功して、ものすごく学問として研究をして、ものすごい生活をしていた坊さんたちのやっていた臨済禅は全部なくなってしまった。ただ一人、白隠の「自分だけの禅」が残った。何の名利も求めない、ただ座るだけの禅。そういう禅をやっている「白隠派」だけが、今の臨済禅全部の祖になったのです。だから今の臨済宗の全部のお寺の祖は白隠ただ一人。そのぐらいすごい坊さんなのです。
白隠がいなければ、日本の禅はほとんど、曹洞宗以外は壊滅していました。白隠は一人だったから大変なのです。
白隠や慧端の人生を研究すると、人間一人の力のすごさを感じます。今は何でも数頼みで、「一人ではダメだ」とか、いろんなことをいいますが、人間一人の力は大きいのです。僕はそう信じています。一人の人間が踏ん張れば、歴史や何かがひっくり返ると思って生きています。僕は、もちろんなれるかわかりませんが、死ぬまで、その一人として頑張ろうと思っています。
――白隠の書も、見ているとやはり乗り移ってくるんですね。
執行 これを見ていると、今言った白隠の心が僕に乗り移ってきます。僕がこんなことを今しゃべっているのは、白隠にしゃべらされているのかもしれません。
●色々な人のために、仏教のために書いた書
執行 「南無地獄大菩薩」という文字は、白隠の書では有名です。地獄に落ちる人を救うために、白隠がいろいろな地獄に落ちそうな人にあげていたもので、だから普通は宛て名が書いてあります。ところがこれは宛て名が書いていません。ほとんど唯一に近いもので、だから素晴らしい価値がある。白隠の書の中でも、歴史的にも一番価値があるのではないでしょうか。
――みんな宛て名が書いてあったのですね。
執行 普通は書いてあります。この御札を持っていれば地獄に落ちないということで、白隠が地獄に落ちそうな近所の百姓に、「おまえさんは、これをお祈りしていなきゃ地獄に落ちるぞ」といってあげていたのです。
――すごい字ですね。
執行 白隠も少し山岡鉄舟と似ていて、別に書が好きで書いていたのではありません。昔のことですから、近所に貧しくて、仏壇も買えないような百姓がいる。その人たちが拝む対象になるように、御札として書いていたのです。だから御札みたいな字なのです。
――確かに御札みたいな字ですね。
執行 そういう意味で書いていた白隠の心意気が、この書に染み込んでいるのです。逆に書が好きで好きで書いていた人の書は、もう全然ダメです。残っている書で「いい書」というのは、一般的にいう「世のため人のため」に書いた書です、結果として。
この「定」もそうです。全部、色々な人のために、仏教のために書いています。だいたい当時、白隠の周りにいた人は貧しいのです。
――そうか、当時は貧しいのですね。
執行 みんな百姓で、そういう人たちに「これさえ拝んでいればいい」といって書いていた。白隠の残っている書は、ほとんどそうです。
これは僕...