●日本男児は死期がわかる
執行 有名な話なので知っていると思いますが、山岡鉄舟は死ぬときは皇居のほうを向いていました。52歳で死ぬのですが、座禅を組んだまま絶命していったのですから。今の人は爪の垢を煎じて飲まなければダメです。
――すごいですね。
執行 あの頃の人を見ていて一番すごいと思うのは、山岡鉄舟だけでなく、自分が死ぬ時期をみんなわかっていたことです。そうした人生、生き方に憧れます。僕もそうなるつもりでいますが、実際にできるかどうかはまだわかりません。ただ自分の死ぬ時期がわかって、「明日死ぬよ」といろいろな知り合いにいって死にたいと思っています。
僕が尊敬している白隠禅師という禅の巨匠について、実話として伝わっている話があります。死ぬ三日前に白隠禅師のいる松蔭寺に、かかりつけの医者が来たときです。「和尚さんは相変わらず元気そうですね」と声を掛けると、白隠が「ふざけるな、このヤブ医者」といったのです。「俺は今から三日後に死ぬんだ。三日後に死ぬ人間の生命エネルギーもわからないのでは、おまえは医者として全然ダメだ」ということをいったという話が文献に残っています。
白隠や山岡鉄舟のような一頭地を抜いた人、少なくとも大正時代や明治時代までは、みんなそうです。全員、自分の死ぬ時期がわかっています。「では死ぬ時期がわかるとは何だろう」と僕はずっと考えてきました。結局、死ぬ時期がわかるというのは、自分を一切ごまかさなかった人間なのです。
物事に全部体当たりして、自分という人間の生命、自分が生きていることについて、まったくごまかさずに生きていく。そうすれば自分がダメになるときは、絶対にわかると僕はある時期、確信しました。だから僕も、そうしようと思って生きています。
今話しているときでも、僕が一つでも嘘をいったら、たぶん死ぬ時期がわからなくなります。だから僕は、もちろん嘘をいうつもりがありません。たとえ手錠が掛かることになっても、本当のことをいいます。それよりも、自分が一人の男として生き、死ぬ時期が来たら「お、明日死ぬぞ」といって死にたい。これは日本男児としての憧れであり、そういう気持ちが強いのです。
――山岡鉄舟も白隠禅師もわかっていたのですね、死ぬ時期が。
執行 全部わかっていました。だから山岡鉄舟も、「これから死ぬ」というとき奥さんにいうのです。彼は胃がんで、身体も弱っていたので、あと何時間後ぐらいで死ぬというとき、「そろそろ少し起こしてくれ」と。奥さんが起こすと、次に「皇居のほうを向かせてくれ」といった。そして皇居を向き、座禅を組んだまま死ぬのです。家族が周りを囲んで見ている中で、座禅を組んだ姿勢のまま絶命したという話が残っています。これ、実話ですから。
僕は戦って死んだり、切り刻まれたり、鉄砲の弾に当たるよりも、これは一番勇気のある人生だと、僕は思うのです。自分の生き方に誇りがなければできない行為です。僕はそこに憧れます。偉そうなことをいっていますが、自分ができるという話ではありません。ただ「憧れる」ということです。その日本男児としての理想を完遂した人の書が、この鉄舟の書なのです。
●これこそが「武士道の書」である
執行 鉄舟については、もっと素晴らしい話があります。鉄舟の書がうまいことは、子どもの頃から評判でした。今、どうしてその鉄舟の書がたくさん残っているのかというと、廃仏毀釈が関係しています。
明治に入って日本で廃仏毀釈が起こり、仏教が弾圧されました。そのため仏教寺院はどこもお金に困り、暮らしも大変になりました。みんな貧しい中でも何とかお寺を守ろうとして、仏教者が色々なことをやっていました。
山岡鉄舟は書がうまいことで有名だったので、書を書いて売ったのです。宮内庁からもらった給料はもちろん仏教寺院を助けるために使い、また、そのために安くても何でも売るための書を毎日どんどん書きまくった。山岡鉄舟の書が多く残っているのは、日本仏教を救うために書いたからなのです。
その山岡鉄舟の崇高な魂が、これらの書には入っているのです。現に、僕が見てもわかります。いまのエピソードは、僕が30歳や40歳を超えて、山岡鉄舟の文献をいろいろ読んでわかったことです。でも山岡鉄舟の書が気に入ったり、山岡鉄舟を好きになったりしたのは、それを全部、字から「感じて」いたのです。そうしたエピソードがあることは、字を見ることですでにわかっていた。その後、書物で事実として確認したのです。「字からわかる」という自分の体験があるので、それを感じてほしくて残しているのです。
――乗り移ってくるのですね。
執行 乗り移る。僕は小学生の時から好きなので。これは、すごい力です。みんなも修行としてやるといいです。1つの書を睨みつけて...