●石油ショックを乗り切った「ミサワホームO型」
昭和42(1967)年に会社を設立、45(1970)年に上場できて、48(1973)年には業界でトップになりました。単純決算で、ちょうど1兆円に達したのです。アポロ計画にヒントを得たミサワのシステム経営というべき考え方、分業してやればいいという経営が住宅産業に向いていたからという話でした。
その後すぐ石油ショックがやってきて、家が売れない時代になりました。みんなで知恵を集め、お客様の注文通り1軒ずつ建てるやり方はやめ、自動車と同様に同じタイプのものを作ることにしました。それでできたのが「ミサワホームO型」という企画住宅で、2割ほど値段が安かったため、爆発的に売れました。そのおかげで、石油ショックの時期もつぶれずに済んだという経験をしています。
今、日本の建売業者が建てている建物は、ミサワホームO型が原点で、総二階になっています。これ以前の家では、二階は一部しか乗っていなかったのですが、今の家は全部総二階になっています。その転換点となったO型によって、石油ショックを乗り切りました。
●五重の材料を用いた建築材を一体化できないか
ミサワで優れた技術へのチャレンジといえるのは、まだ完成してはいませんが「多機能素材」の開発です。
建築物には、よく見ると五つの材料が重なっています。まず骨組みとして構造体があり、断熱材があります。それから、水が入っても大丈夫なように耐水材があります。さらに仕上げ材は裏と表があるため、それら五重の材料が重なったのが建築の値段なのです。構造体、断熱材、耐水材、仕上げ材(表・裏)ということです。
これらを一体化できないだろうか、というのが私の構想でした。強度もあり、耐水性も断熱性もあって、見た目のきれいな素材。そんなものは世の中にない、と誰もが口をそろえますが、それなら、うちでそれを作ればいい。誰か、そういう挑戦に乗ってくれる技術屋さんがいないかと思い、この話をして歩いていたら、「できるかもしれない」と名乗りを上げる技術屋さんが何人か出てきました。
家を作るのに、いろいろな材料を使って組み立てるのをやめる。例えば大きなところに、素材を流し込めば1時間ほどで固まるから、それを使えば家がすぐできる。そうした材料を「多機能素材」という名前にしたのです。多機能というのは、たくさんの機能を持った素材ということで、私どもの造語です。その後、「多機能家電」という形でも「多機能」が使われるようになりました。
●多機能素材の開発から会社買収へ
商品としては「ニューセラミック(PALC)」というもので、よく売れた時は3交代で生産しましたが、今はそこまでは売れなくなって1交代でOKになっています。
多機能素材にはどうしても矛盾があり、強度を上げると断熱性がなくなったり、断熱性を上げると強度が落ちたりしてしまいます。まだ完成には至っていませんが、続けて開発していけば将来的には完成するかもしれないと思っています。
主原料には、地球上に最も多い物質である珪砂を用いています。名古屋工場で外壁を作っていますが、難しいのは化学的な技術や鉄を加工する技術などで、それが不可欠なのです。
私どもは木質パネルで経験を積んできたので、木の特性や加工技術については研究を重ねてきました。ところが、鉄や化学になると分からない。そこで、これは専門の会社を買収しなければならないだろうと考えて、調査研究を始めました。
埼玉県のハマノ工業は東証二部上場の会社で、繊維関係の化学会社です。こちらにはよく話して仲間になってもらいました。鉄の方では鈴木鉄工所という、やはり東証二部上場の会社を訪ねました。
このような会社から鉄や化学の技術を手に入れたのですが、まだ「M&A」という言葉のない時代です。「会社を売ってください」というのはずいぶん失礼な話ですから、私は相当慎重にやりました。皆さんのご参考になればと思い、少しお話しします。
●鈴木鉄工の組合員と京王プラザで「焼きうどん」
鈴木鉄工所を訪問する時は雨が降っていました。私は車で乗り付けるとえらそうに見えると思い、100メートルぐらい手前で車を降りて、雨の中を歩いていきました。頭や肩などがぬれて、少し頼りない格好で訪問することになりました。
社長に会社を譲渡してほしい旨の申し入れをすると、「私はいいのだが、組合が賛成するかどうか」と言われました。そこで、組合と話をさせてほしいと頼み、組合の人たちと食事をすることになりました。私は何を思ったか、京王プラザにフランス料理の大きなテーブル席をしつらえて待つことにしました。
食事が始まる20分ほど前になって気付いたのは、鉄工所の職人さんたちなのだから、ナイフとフォークの食事では気詰まりだろうという...