●新潟県十日町から日大建築学科へ
私は、新潟県の十日町高等学校を卒業しました。競争がないので、皆あまり勉強もせず、大学へ進学するのは卒業生の2割ほどという学校でした。東京に出た私は、日本大学の建築学科に入学しました。10日ほどで分かったのは、同級生が皆、よく勉強ができることでした。自分だけができないので、大学では一生懸命勉強しました。それまでは、建築に対する関心はあまりなく、テレビを作ったり、アマチュア無線(ハム)を行ったり、ラジコンをやってみたりと、好きな電気系統のことばかりでした。大学受験では、父親が材木商ですから、建築系の方が喜ぶだろうと思って志望を決めました。
●突然血を吐いて倒れた大学4年の夏
大学4年の夏休み、御茶ノ水駅のホームで私はいきなり喀血して倒れてしまいました。田舎でツベルクリン反応が陽転しないまま東京へ出てきてしまったので、結核に感染したということです。そのまま救急病院へ運び込まれました。担ぎ込まれた時は、こちら(左)の肺に穴が開いていたらしいです。しかも右側も詰まっていて、どちらの肺もあまり動いておらず、「こういう病状では手術ができないから、しばらく様子を見ましょう」という説明でした。
息をするたびに出血して、一晩で洗面器いっぱい血が溜まるような日が3日ほど続きました。病室は、看護婦さんたちの部屋の隣でした。特別に良い部屋を取ってもらえたなと思ったのですが、後で聞くと、差し迫った重症患者をすぐ助けられるよう、そういう配置にしているそうです。部屋には3人いましたが、私以外の2人は亡くなりました。
部屋で寝ていると、主治医が廊下で話をしているのが聞こえてきました。「今晩あたりが峠です」と、私の母親に言っているのです。「ああ。今晩死ぬかもしれないのか」といった状態でした。
その夜中、急に苦しくなって、のたうちまわった挙句、ベッドからドスンと落ちました。落ちたとたんに、口からレバーのような血の塊が出てきました。右の肺に詰まっていた血の塊だったらしく、呼吸ができるようになって助かりました。そのままだと死んでしまっていたところ、たまたまベッドから落下したために血の塊を排出できて、翌日からは両肺が動くようになったという説明でした。
これで手術はしなくても良さそうだと医師から言われました。「その代わり、100日間はベッドで仰向けにな...