●先行き不透明な未来にネットワークで立ち向かう
―― その意味では、トヨタの豊田章男社長が「終身雇用はトヨタでは難しい」、と言い始める、あれはかなり分かりやすいですよね。仮に今入った企業に30年先も同じようにいるかというと、それは考えにくいですよね。
柳川 このインパクトは大きくて、みんなが薄々は思っていることだと思うんですけど、改めてあのようなメッセージが出されたことによって、「自分の立ち位置どこにするの」とか、「自分は将来どのようにしていくのか」、ということを考えることになったというのは、すごくインパクトがあったことだと思います。
その上で、「ではどうする」、といったときに、今のところ、「どうしていいか分からない」、という人が割と多いわけですよね。そういうところに、今までの会社組織とは違う、いろんな関心を持っている人とか、いろんな能力を持っている人が集まって、ネットワークをつくっていくということがあちこちでできてくると、人々はより面白いことを考えることができるし、ある種そこが安心感を与える仕組みになってくるだろうと思います。
―― そうでしょうね。目利きの人がいて、集めてきて、それぞれ勝手に私塾を始める、というようなことがいっぱいできると、かなり閉塞感のある社会から、変わりますよね。
柳川 そうですよね。それぞれがある意味ですごく面白い、それぞれ特色のある人材が育ってくる、ということが面白いところだと思います。
●建設的な議論のために「事実認識」と「価値判断」を分けて考える
―― そのときに、「建設的な議論のために」という言い方の中で、「事実認識や見立て」と「価値判断」を区別すると著書(『東大教授が考えるあたらしい教養』)に書かれていたことが重要なことだと思います。普通、価値判断が先にいくから、「お前、間違っている」とおしまいになってしまい、建設的な議論になりませんよね。
柳川 そうなんですよね。だから、「いろいろ議論をしましょう」、というのが、割と学校教育でもあるし、日頃でもあるんですけど、なかなか「建設的な議論」というものが日本ではできにくい。そこは、「価値判断のぶつかり合い」が議論の全てになっているようなケースが割と多くて、「私はこっちに賛成だ」「私は反対だ」「なぜ反対なんだ」「賛成じゃないか」みたいに、価値判断がぶつかり合っていると、結局は平行線で、お互いがそこから学びを得られなかったり、建設的な方向にいかないと思います。
なので、たしかに「価値判断の部分が説得されて、価値判断が変わってくる」、ということはなくはないんですけど、そういう話とは別に、「なぜそう考えているのか」「その人が世界をどう見ているから、こういう判断になるのか」とか、あるいは、「どういう仕組みで動くと考えているのか」ということを、価値判断に至るプロセスの中で、もう少し議論できたほうがいいんじゃないか、と。
これは、通常だとなかなか建設的な議論になりにくい、「憲法改正の話」とか、「軍備をどうするか」とか、「格差をどうするか」とか、みんなが「そうだよね」という話ではなくて、意見が分かれる話で、議論をするときでも、どうしても「こう思う」という結論と価値判断の議論になるんですよ。本当は、「なぜそう考えるのか」とか、「どういうふうに社会を見ているから、そう考えるのか」ということをお互いもう少し照らし合わせられると、そこから学ぶこともできるし、価値判断が違うから、結論は違うかもしれないけど、学び合えるというようなところは、いくらでもあるような気がします。
●より良い議論に欠かせないのは「経験」と「モデル共有」
―― ファクトとトレンドと歴史の流れ、ここは事実ベースだから、ここをまず共通にして、その上での価値判断ですよね。
柳川 ただ、ここはなかなか難しくて、そもそもそこが自分の頭の中でもうまく区別ができていないで話をしている人というのは、結構世の中には多いと思います。これはどこの部分が価値判断で、どこの部分が事実認識で、どこの部分が自分のロジックの部分なのか、ということを区別して、自分の頭の中を整理する、というだけでもかなり大きな発展につながると思います。この訓練が実はなかなかできていない、割と不足しているのかな、と思います。
―― 議論の組み立て方って、ニューヨークとか、ワシントンでやっているのを見ると、そこは別にアメリカ人だけではなく、いろんな人が集まっているから、やっぱり宗教も違えば、民族も違うし、置かれている立ち位置も違うので、そこの議論も、プラットフォームの作り方、進め方も大したものですよね。
柳川 そうですよね。おっしゃる通りで、ここは日本がもう少しグローバルに出て行くときに、学ぶべきだし、あるいは、身に付...