●戦当日には縁起を担ぐ
中村 戦の当日になると、朝、出撃の儀式をやる。まず、三三九度と同じように、三つ重ねの盃にお酒を注ぐ。結婚式と違うのは、必ず、三方という白木の台にきれいな和紙を敷いて、そこにその家独特の出陣の儀式に使う食べ物を載せることです。
―― 縁起物みたいなものですね。
中村 武田信玄に仕え、後に保科正之が継いで、会津藩に成長する保科家の出陣の儀式を見ますと、縁起物として、まず栗が載り、あわびが載り、大豆が載る。そこに松の葉っぱが飾ってあって、くるみもある。
そして、主将が唱える言葉は、勝利の祈りなのですが、おまじないといってもいい。「われこの敵に勝ち栗」「この敵を打ちあわび」と勝利の祈願をする。大豆やくるみ、松葉というのは「まめに来る身を待つばかり」、つまり「無事にお帰りくださいませ」「勝ってお帰りくださいませ」ということで、留守部隊からの祈りがそうした言葉になっているのです。
そして、いよいよ出陣するときには、何月何日、どこそこに何時までに来いというわけですけれども、絶対に遅刻は許されません。加賀前田の三代目の前田利常は、大坂の陣への出撃に際し、遅刻した馬丁に対して烈火のごとく怒りました。目の前に呼びつけて、両手を押さえさせて、腕を一本叩き切っています。
戦の場所では、縁起の悪いことは絶対に許されない。そして、ふざけた態度がある者がいれば、満座の中で成敗して、陣の気分を引き締める。「軍神の血祭りに上げる」というのはこのことなのです。軍神というのは血が好きなので、勝利の帰還のためにも厳しい成敗をして、軍神にお見せする。そうした怖さもあるのです。
●戦のときは人工的に便秘状態をつくり出していた
中村 今度は尾籠な話になりますが、食べ物と便についてお話しします。
米も炊くんでしょうが、当時はもち米に灰を混ぜたようなものを携帯食料としていました。今でも鹿児島あたりでは売っていますが、柔らかいのです。入れた湿気を灰で逃さないようにしてあるので、カチンカチンにならず、それを食べる。これには絶対にもち米を使うのですが、それは戦の間に便通がないように、人工的に便秘状態をつくり出しているということです。鎧というのは着てしまうと、「ちょっとタイム」ということもできなければ、一人で脱ぐこともできない。しかも、身ぐるみ剥がされる場合には、ふんどしまで取られることになる。
―― 負けた場合、最後には、ということですね。
中村 素っ裸で首なし死体として戦場に自分が横たわる最悪の可能性を考えるわけです。
―― 戦場で、負けたところを漁る人たちも出てくるわけですね。
中村 そうですね。そこは、落ち武者狩りがあるからです。そうすると、最悪の場合を考えて、素っ裸で死んでいるというのはたまらない姿ですから、「それだけはいやだ」ということで、鉄の輪っかを首にはめて、そこから長い布を股間にくぐらせて巻く。さらに、その上にいろいろなものを着ています。袴も1枚ではなく、下着用の大口袴、その上に錦などで織って分厚くして、なかなか刃が通らないようにしたものです。そして矢などが通らないように草摺(くさずり)を着る。つまり、それらを着ている間、戦が終わるまではまずトイレには行けないと思わなくてはいけません。
そういう意味では、人工的な便秘状態をつくり上げて戦うということも、重要なノウハウになってくるのです。
―― 確かに面目にかかわる話になってきますからね。
中村 こういうことは皆さん全然書かれないのですが、僕が以前に『真田三代風雲録』で書いたら、群馬県沼田市にある図書館の読書会から呼ばれました。そして、「初めて知りました」と驚かれたのです。ということで、戦のときにはそういったいろいろな苦労があるわけです。
●炊事の煙が意味するものとは
中村 他にも、例えば何千人が移動する場合、戦場において陣地でにらみ合いになるときには、トイレも掘って、洗面所から何からつくり、また携帯食料もありますが、米も炊きます。
日本では五合炊きとか、人数によって釜の大きさが決まりますが、大人数のときは一番大きな釜で炊くに決まっています。そうすると、炊事の煙が何本上るかで何人いるのかが、だいたい読めてしまう。太平洋戦争中にも、中国戦線で、あそこに何人いると読まれたこともあったそうです。武田信玄と上杉謙信の川中島の戦いでも、読み合いをやっています。煙が2本に分かれているから、2陣に分かれているとか、そうしたいろいろな読み筋も出てくるのです。
それで、米を炊く場合には、戦中は着ている鎧だけで10キロ以上になり体力を使うため、「一人扶持」という言葉もありますが、成人男子が食べる量は玄米にして1日5合です。
―― 5合というのはけっこう多いですね。
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