●外交実務者と学者の決定的な違いは二つある
みなさん、こんにちは。今回は「国際政治を見る視点」についてのシリーズです。いろいろな視点があると思いますが、今日はそれほど堅くない視点から、いくつかお話をしていきたいと思います。
私はかつて外交に携わる実務者でしたが、今は外交を研究して教える学者になっています。この「外交実務者」と「学者」の両者の違いは何だろうかということを、私は新しい職場に来て、日々考えているわけです。
実務者は、自分自身の思想や感情、そして外交に携わる人々との人間関係の影響を受けます。また、情報が全て手元にあるわけではなく、限られた情報のなかで、判断や決定をしないといけません。また、時間も限られています。限られた時間のなかで判断し、決定を下さないといけない面もあります。情報は不完全、時間は不寛容ななかで、選択をし、決断をしているわけです。
これに対して学者は、そうした影響や制約がなく、あるいはできる限り排除した状況で、ひたすら真理を追究します。例えば、過去に起きた歴史的な事件を研究する場合には、それにまつわるさまざまな情報を時間が許す限り徹底的に集めて研究することができます。これが、実務者と学者の大きな違いではないかと思います。
●「正解」のない外交の現場、情報共有の困難さ
実際、学者になってみて感じたのですが、学生たちは正解を求めます。質問でも「先生、答えは何ですか」と言いますが、答えのある国際問題はそう多くありません。同僚の先生方のなかでも、たいへん歯切れのよい分析をされる方がいて、私は正直なところ戸惑ったり面喰らったりしてしまうこともあります。
国際問題や外交の現場では、誰もが納得して「そうだ」と賛成できるような「正解」というのは、ほとんどないのではないかと私は思います。そこには、国内政治と対外交渉の結果としての、極めて冷血で冷厳な事実しか存在しないのではないかと思うのです。そこに至るまでには、外交上の取引や力を背景にした威嚇、あるいは譲歩があります。よく「アメとムチ」といわれるようにインセンティブが与えられたり、いろいろなことが介在して結果が出てくるわけですが、それらの因果関係は必ずしも明らかではありません。
例えば、ポーツマス講和会議(1905年)では、日本が譲歩してロシアからの賠償金を得ずに済ませたわけ...