●どんな戦いにおいても「勢い」がなければ駄目である
次の「勢篇」です。前シリーズの「形篇」と今シリーズの「勢篇」で「形勢篇」、つまり形勢逆転の形勢です。要するに、ただ軍隊がいるだけでは駄目で、そこに「勢い」というものがなければいけないということを言っているわけです。
私は若い頃、2000社余りの会社の立て直しを担当してきました。それだけの数の企業を担当してくると、何か分かってくるところがあります。例えば、その会社の玄関をパッと入っただけで、これは相当手強い相手だということが分かる場合もありますし、いや、ここは脈がまだあるということが分かることもある。これは要するに、勢いを感じるかどうかということです。特に生産現場など工場へ行ってみると、それは非常に端的に表れていました。
工場があれば必ず見学に行くのですが、何月何日の何時に工場へ伺いますと言っておいて、あとで伺います。それで、工場には守衛さんがだいたいいますから、門のところにいる守衛さんに「ごめんください。こういう者ですが」と言っても、そのような人が訪ねてくるのも分からないとか、今日聞いたというようなことや、「ちょっとお待ちください」などと言って、あっちへ問い合わせたり、こっちへ問い合わせたりしているような準備の悪い会社は、「ああ、これは相当駄目な会社になっているな」と分かります。
いい会社はそうではなくて、もう担当者がその守衛さんのところの横に立ってじっと待っていて、そこに行くと「おはようございます」などと言います。このような会社はやはり脈があるということです。そのちょっとしたところに、その会社の勢いが出ます。そして工場の中に入ると、行き交う人の歩く勢い、人間としての勢い、このようなものが全然違うのです。
ですから、勢いということは重要なのです。その勢いについて孫子が語っているのが「勢篇」です。では、そこを読んでみましょう。
●分数と形名―少人数でてきぱきと動くために意識すること
まず「孫子曰く、凡そ衆を治むること寡<か>を治むるが如くするは、分數是なり」です。これは名言です。要するに、慣れない人は5人くらいならばなんとか束ねていくことができても、それが10人、20人になるとどうやって束ねていいか分からないものです。
典型例が小学校の教員になりたての人で、それこそ少人数はなんとか管理できるけれど、クラス全体になってしまうと、もう慌てふためいて駄目だということです。ですから、人間というのは管理ができるといっても、せいぜい5人くらいで、これが何倍にもなって、それこそ30人の部隊を率いるとか、40人の部隊を率いるということは難しいのです。しかし、いくら人数が増えても、5人という最小単位を動かすように、てきぱきと動かせなければ駄目なのです。
それは何かというと、「分數是なり」です。分數とは何かというと、軍の編制のことですね。要するに、30人が何の編制もなくいるのではなく、軍隊というのは前にも申し上げたように5人1組であり、この5人1組の長が伍長です。この5人1組がいくつかの班に分かれて存在しているということですから、何かを伝えるのでも、全員に伝える場合と、それから5人のトップである伍長に伝える場合があります。ですから、分數、つまり軍の編制というものがしっかりしているということが、とても重要だということです。
そして「衆を闘はすこと寡を闘はすが如くするは、形名是なり」です。これは大軍を闘わせるのも、優秀な少数精鋭部隊を闘わすごとくするというのは「形名だ」と言っています。形<けい>、それから名<めい>ですが、これは何かというと、形は旗指物のことです。簡単にいえば、自軍を表す甲冑とか兜、それから旗そのものですが、そういうものを身につけた瞬間に自軍の意識が芽生えるというようなものが形です。名は号令のことです。だいたい号令は聞こえにくいものですから、金鼓(鉦や太鼓)というものをもってするというのが当時の軍隊でした。
●奇正と虚実―バリエーションと駆け引きで必勝する
さらに「三軍の衆」、大軍ということです。「必ず敵を受けて、敗無からしむ可きは、奇正是なり」。つまり軍隊が敵と交戦状態になって、絶対に敗れないというのは、いかにこちらが奇正を心得ているかということです。奇というのはバリエーション、正というのは正攻法です。正攻法をよく知っていないと、バリエーションもできないのです。ですから、そういう意味でセオリーをしっかり習得し、それから今度は奇で、バリエーションをというところへ入るわけです。
したがって「兵の加ふる所」...