●「400万台クラブ」と自動車業界の混乱
実際に過去の記事を見ていくと、しばしば痺れるような記事に出会うことがあります。例えば、一時期は多くの人が冗談ではなく「エンロンに学べ!」といっていました。これは『Fortune』の記事ですが、6年連続で『Fortune』は「エンロン」がアメリカで最もイノベーティブな会社だと主張していました。今から振り返ると、相当トンチンカンな話です。
その一つの典型例としてご紹介したいのが、1990年代の終わりの自動車産業です。当時大変当時盛り上がった議論として、「400万台クラブ」というバズワードがありました。つまり、自動車産業では国際競争がますます激しくなり、これから先は400万台以上の生産規模のない会社は生き残れないといわれていたのです。この400万台の法則が当時注目を集め、この400万台クラブに入れるかどうかが生死の分かれ目だと、まことしやかにささやかれていたのです。
例として1999年の『日経ビジネス』の記事を見てみましょう。この時代には、自動車産業は何度も大型の合併やM&Aを繰り返していました。当時の雑誌の記事を見てみると、「ホンダも危ない。規模の大小が競争力の決め手、フィアット、プジョー・シトロエンどころか、BMW、フォルクスワーゲンも安泰ではない。なぜなら400万台にまだ到達していないからだ」などと真剣に議論されていたのです。
実際にこの同時代の空気の中で、経営者が大胆な意思決定をしました。きっかけはダイムラークライスラーという会社の誕生ですね。大西洋を越えて、アメリカのクライスラーとドイツのダイムラーは合併しました(参考文献:『合併―ダイムラー・クライスラーの21世紀戦略』トラベルジャーナル)。ここまでの手を打たなければ、これから先は生き残れないと思われていたのです。
こうした流れを受けて、当時フォードのCEOを務めていたジャック・ナッサーという非常にアグレッシブな経営者がPAGという戦略を打ち出しました。ボルボやアストンマーティン、ジャガーなどを次々と買収しました。もともと傘下にあったリンカーンと合わせて、プレミアム・オートモーティブ・グループ(PAG)という事業ユニットをつくったのです。この事例でも、買収に積極的に乗り出していることが分かります。
ライバルのGMは、日本企業に触手を伸ばしまして、産業サイドでいすゞ、小型自動車でスズキに対して資本参加して、グループに加えました。近い将来、アジアを中心に新興国で需要が伸びていくことを期待していたのです。
ヨーロッパでは当時、現在から考えると信じられないことですが、フォルクスワーゲンとBMWの間で、どちらが世界最高級ブランドのロールスロイスを買収するかという叩き合いが勃発していました。お互いに値段を吊り上げていった結果、身動きがとれなくなり、傷み分けに終わりました。最終的には、フォルクスワーゲンがベントレーブランドを買収し、BMWがロールスロイスを買収しました。
●日産とホンダの対照的な姿勢
日本に目を移すと、覚えている方も多いと思いますが、当時日産が経営危機に陥っていました。当初はダイムラークライスラーとパートナーシップを結ぶといわれていましたが、結局ご存じのようにルノー傘下に入りました。
この際、カルロス・ゴーンが日産の社長としてルノーから送り込まれてきました。当時のゴーン氏の発言を見ると、ダイムラークライスラーの合併で全ては変わった、電気ショックだ、などと発言しています。大変盛り上がった400万台クラブという議論ですが、その後の状況を見ると、まずダイムラークライスラーは解体されました。クライスラーはファンドに売却され、リーマン・ショック時に破産しています。GMも破産し、フォードは一度PAGを解体しています。400万台クラブが盛り上がった際に買収した会社も次々に手放しました。
ホンダは当時、400万台の生産に届かず、このままでは危ないといわれていました。250万台程度の生産を続けていたのですが、自主独立路線を選択しました。2013年の発表ですが、実際にホンダの生産台数が400万台に到達しまして、今でも独立した企業としてまずまずの経営を続けています。
このような当時の混乱を振り返ると、いかに論理が軽視されるかが分かります。当時の議論に、ほとんど論理的な根拠はありませんでした。たまたま話題になったダイムラークライスラーの合併時の生産台数が400万台だったために、この数字が独り歩きしたのです。もちろん、自動車産業では規模の経済が重要であることはいうまでもありませんが、生産台数を増やしたからといって、それがそのまま競争力になるとは限らないのです。
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