●資料館のデータからどの船が近海に沈んでいる可能性が高いか推測する
この付近には沈んでいる船について見てみましょう。これは先ほどお話しした「戦没した船と海員の資料館」のウェブページに掲載されているデータです。これによると、緯度経度が描かれています。この星印は、海上保安庁からいただいたデータ上の、何かが沈没している地点を指しています。
この資料館はさまざまなデータを分析して、沈んでいるものの種類や位置を示した地図を描いています。それぞれがどこまで正しいかはよくわかりません。なぜなら、情報が乏しいために推定しているデータ、たとえばアメリカが沈没させた船に関して、アメリカ側のデータからこの位置で沈没したのではないかというデータもあるからです。ともかく、このような地図が作成されているわけです。
これに基づくと、字が間違っていますが大洋丸、りま丸、富生丸、錫蘭丸が、海上保安庁のデータから存在がわかった沈没船ではないかと思ったわけです。われわれは大洋丸の名前は知っていましたが、りま丸や富生丸、錫蘭丸に関しては、今までまったく聞いたことがありませんでした。そのため、この機会にかなり勉強したのですが、またあとでそのことについては詳しく説明します。
●実際に発見された沈没船は大洋丸であるという証拠が得られた
最初はとにかく大洋丸だと思われる地点に行って、その周りをROVで調査しました。実際に大洋丸そのものでした。
大洋丸は前のほうに魚雷を受けた結果、そこに積んでいたカーバイドが燃えて前のほうが潰れ、沈没したといわれています。実際、そのとおりの状況でした。
潜ってみると、この黄色い線よりも前の部分は破壊されていて、形状をとどめていません。対して、後ろの部分はほぼ完全に原形をとどめていて、右舷を上にして沈没していますね。つまり、左舷を下にして沈没していることがわかりました。
この後ろの部分の画像をお見せします。これが船尾側面ですね。ここがAデッキ、ここがプロムナードデッキ、A甲板、B甲板の写真です。
こちらを見てください。まずB甲板の部分、A甲板の部分、それからここに1本、2本、3本柱が立っていて、4本目のところがこのB甲板に連なっています。開口部になっています。
こちらの画像にはB甲板とA甲板が写っています。今紹介した部分です。
それから、こちらの画像は前の画像の先端部分です。ここにマストが立っていて、ここにもデリックポストといって、積荷を上げ下げするポールが立っています。これを上から見たのがこちらの画像です。ここにウインチが見えていて、ボラードという係船柱が見えています。これも同じ部分のボラードですね。こちら側がアフト、つまり後ろの部分です。
そこの部分がこちらの画像ですね。これがウインチで、ワイヤーが巻いてあるのが確認できます。
こちらの図面で見ると、ここがウインチ、それから係船柱ですね。先ほどの画像はこれを写しています。係船柱があって、これがウインチです。
船は一般にこのような構成をしていますが、これらの画像は大洋丸ではないという証拠ではなく、反対に大洋丸であるに違いないという証拠になっているのです。
後ろのほうの部分を写したものがこの画像です。このあたりはきれいに残っています。この上のストラクチャーの部分は、破壊されているようで確認できません。
それから客室前部です。この部分は比較的きちんと調べました。
1枚の写真はこのようになっています。この辺りに窓が見えますね。四角い窓が見えます。
これだけだとわかりにくいので、これを繋ぎ合わせてモザイク状の全体図を作りました。ここに窓が見えますね。言い忘れていましたが、深さは130メートルです。窓が割れていると向こう側が黒く見えます。この辺りに窓がありますが、割れていないとガラスの上に泥や生物が付着しているので、白っぽく見えますが形は確認できます。
次に、窓の形を見てみましょう。ここに四角い窓がこのように並んでいます。それから、よく見るとここに手すりのようなものが見えていますね。これがこの手すりです。上のここにも手すりのようなものが見えています。それから円い窓と四角い窓がこのように並んでいます。
これをよく見てください。○○□□□○で...