●海上保安庁をはじめとしてさまざまな民間ボランティアの協力を受けている
この大洋丸の発見に関する重要なポイントは、海上保安庁から詳しいデータを教えてもらったことです。海上保安庁は他のデータも持っているはずなので、それを公開してくれれば、発見しやすくなるかと思います。しかし、おそらく海上保安庁は忙しいので、依頼してもなかなかそういう作業はやってくれません。われわれの目的のためには、もともとのデータを調べ直す必要があるのです。すでに地図となっているものを確認しても、意味がありません。ぜひ、そうした事業に着手していただきたいと思います。
われわれの大洋丸プロジェクトは、このような民間のボランティア、それからさまざまな会社のサポートや海上保安庁からのデータの提供などを受けて進められています。国も関係していません。実はここが重要なのですが、日本郵船の名前がありません。日本郵船資料博物館には一応データ提供をお願いしましたが、日本郵船からのサポートは特段受けていません。大洋丸のオーナーだったのですが、沈没した時は日本郵船の所属ではなかったのです。
●昔は船の上で人が亡くなった場合には基本的に水葬にしていた
沈没した大洋丸には、遺体が残っています。多くの遺体が流れていきましたが、残っている遺体もあるはずです。近くの戦艦大和にも、遺体が残っているはずです。そうした遺体は放置されています。なぜ放置されているか考えてみましょう。
以前進めていた伊58、および呂500のプロジェクトで発見された27艦の潜水艦には、遺体はありません。それは、戦争中は破壊されず、戦後にそれらの船をアメリカ海軍がそのまま沈めたからです。しかし、大洋丸は違います。大洋丸の場合は、遺体が残っているのです。
このような遺体の扱いはどうなっているのでしょうか。通常、「沈没艦船は墓場である」というのが、厚生労働省の考え方です。この考え方は、世界的にも概ね認められているようです。
鹿児島の喜界島沖で、戦艦ミズーリに特攻していた零戦に乗っていた石野節雄氏の遺体を水葬しています。つまり、零戦を引き上げたか、零戦が戦艦の上に突っ込んだかのどちらかです。日本国旗に包んで海に水葬していました。これは通常の...