●沈没船の探索は戦争と技術の関係を後世に伝える重要な仕事
皆さん、こんにちは。今回は第14回目の講義になりますが、「戦時徴用船の悲劇と大洋丸捜索」というテーマでお話ししたいと思います。
最初に前提として私が推進しているプログラムに関してお話しします。3年前にラ・プロンジェ深海工学会という一般社団法人を結成しました。そこでは、深海を含む海中活動に関連するさまざまな事柄に関する知識の普及と国民の海洋理解の増進に寄与することを目的としています。ボランティアで運営しています。
そのためには皆さんの興味をひくような海中活動をしなくてはならないということで、2年半前に「伊58呂50特定プロジェクト」を進めました。こちらの画像は伊58です。この潜水艦を五島列島と長崎の間に見つけました。
こちらも伊58の写真です。驚くことに斜めに突き刺さって、船尾を上に持ち上げているのです。水深200メートル地点です。
こちらは伊47という潜水艦です。伊58のすぐ近くに、船首を頭にしてこのように立っているのを発見したのです。
この周囲に24の潜水艦が沈んでいたのですが、その状況を最新の技術で明らかにしたのです。
次に、前回の講義でお話ししましたが、このプロジェクトから1年後に若狭湾に沈む3艦の潜水艦を発見しました。ここに書いてあるとおり、それらは「伊121」「呂500」「呂68A」です。そのうちの呂500は、実はユーボートのU-511だったのです。このユーボートに関してもさまざまな興味深い話があるので、また機会があればお話しさせていただきたいと思います。
ここに若狭湾の地図があります。若狭湾、越前岬、敦賀、小浜、舞鶴とあって、有名な船宿がある伊根町という町は丹後半島にあります。この半島の沖合に冠島という小さな島がありますが、その中間あたりに沈没している3艦をわれわれは発見しました。
これらは太平洋戦争に関係するモニュメントです。われわれが思うに、海の中はなかなか見ることができませんが、海の中にあるモノを人に見せることができれば非常に強い印象を与えることができます。単にエピソードをお話しするだけではなく、「ここで語られたモノの実物はこれです」と見せることの効果があると思うのです。そうしたことは新たな海中技術によって可能になりつつあります。
右上にある画像は、広島の原爆ドームですね。これが残っているからこそ、大きなシンボルとして今も強い印象を残しています。記念碑を建てるなどしてあとから作ったものではなく、実際に被害を受けた建物がそこにあるという事実が、非常に強い印象をもたらすのだと思います。
それから、右下の画像は3・11東日本大震災で被害を受けた志津川町(現・南三陸町)の町役場ですね。ここで女性が最後まで放送していたのですが、津波にのまれてしまったそうです。町長はこの鉄柱に登って助かったそうです。実際に出かけてこれを見てみれば、非常に印象深いものです。われわれは残念ながら海中には行けませんが、そこには左側の画像のようなものがあるということを示すことができたのです。
似たようなものとして挙げられるのは、「アリゾナメモリアル」です。ハワイに行く際には多くの人はここを訪れると思います。戦艦アリゾナがパールハーバーにこのように沈んでおり、そこがモニュメントになっています。今でも油が下から湧いてきています。また、上からは戦艦のデッキが見えて、非常に印象的です。これを見るたびに真珠湾を考え、太平洋戦争を考えることに繋がります。ですから、われわれも海底に沈んでいる潜水艦を皆さんに提示して、戦争を考え、そして技術を考えるきっかけになることを望んでいるのです。
●戦時徴用船「大洋丸」に関する新たなプロジェクトに着手
こうしたプロジェクトの第3弾として、多くの企業戦士とともに沈んだ「大洋丸」を東シナ海に探すプログラムに着手しました。この事実は船や海運の関係者はご存じのことが多いのですが、歴史の中に葬り去られて知られていない、知っている人が非常に少なくなっているという状況があります。このプログラムを、技術と戦争の関係は何だったのかということを考える契機にしたいと思います。
まず、戦時徴用船についてお話しします。こちらは、神戸の元町の海岸通りにある「戦没した船と海員の資料館」のホームページです。この資...