●『古事記』になく『日本書紀』にある伝承
―― 基本的に『日本書紀』の場合はカットだけなのですか。『日本書紀』には「一書に曰く」といったいろいろな表記があるということですが、『古事記』の出雲神話の部分はカットされるとともに、他に入ってくる要素はあるのでしょうか。
鎌田 『古事記』になくて、『日本書紀』にのみある伝承もあります。『古事記』とは一つの家の立場を膨らませて、面白く物語化したという側面があります。対して『日本書紀』は、できるだけ公平に、バランス良く、いろいろな家々の伝承を取り込んでいる。
そういった中で、『古事記』にはない非常に重要な伝承は、国づくりは基本的にオオクニヌシがスクナヒコナノカミと行ったというものです。そのスクナヒコナノカミが常世の国へ去っていった。ここまで、『日本書紀』では「一書に曰く」の中に同じような内容が語れています。
そのときに、亡くなって落胆しているオオナムチノカミ(オオナムチ=オオクニヌシ)の前に、海上に光り輝く神秘的なものが現れる。スクナヒコナノカミのいない喪失感を抱えているオオナムチを前に、その光るものが「我はおまえの幸魂・奇魂(さきみたま・くしみたま)」と言うわけです。
―― 幸魂・奇魂はどのような意味なのですか。
鎌田 幸魂・奇魂とは、「さき」は幸福の幸、「くし」は奇妙の奇です。つまり、非常に不思議な、怪しい、神秘的な、そして豊かな力をもたらす御霊の働きということです。荒魂・和魂(あらみたま・にぎみたま)という言い方は、それ以前からいろいろな形でありました。
―― これは「荒々しさ」と「平和的なもの」ですね。
鎌田 恵みをもたらす平和的なものと、破壊的なものです。スサノオは両方を極端に持っていますね。荒魂と、そして和歌を詠うような賑々しいものを持っている。
例えば出雲の場合、国づくりをして豊かになるわけです。国づくりで多様なものを生み出す神秘力を持っているからです。『古事記』では、その国譲りの具体的なディテールを語ることになります。
『日本書紀』の場合は、それを「幸魂・奇魂が現れた」という形で、それを「大和の三諸の山(三輪山)に祀れ」と言う。そして大和に祀り、それを宮中の皇室の守護神のような役割に位置づけていく。
つまり出雲的なものが、天から下りてくるアマテラスオオミカミ(アマテラス)の子孫と強い緊張関係をもって、抗争せずに補完する、あるいは支えるような構造で、国が譲られる。国を治めていく正統性がアマテラスの子孫に移っていき、国譲りがよりスムーズに行われたといったことが書かれていきます。
●地域信仰がよく分かる『古事記』
鎌田 でも『古事記』の場合は、そこで抵抗します。それが諏訪の神様であるタケミナカタノカミの物語に続いていく。
少し補足しておくと、オオクニヌシのもとに、全権大使のように天つ神からの命を受けたタケミカヅチとフツヌシノカミがやって来て、国譲りを迫ります。そのときに、『古事記』の中では、オオクニヌシが自分では返事ができないから、180柱いる子どもの中の2柱の神に返答させます。コトシロヌシとタケミナカタです。コトシロヌシは三保神社に祀られている神様でもあります。そのコトシロヌシは、それを受け入れると言う。そして「この国を、天つ神の子孫に献上します」と降伏するわけです。
「いや、そんなことはできない。自分たちがつくった国を外からやってきた神様に献上するなんてもっての外だ」と言って抵抗したのが、弟とされるタケミナカタでした。タケミナカタが抵抗したために、後に鹿島神宮に祀られるカシマノカミとなるタケミカヅチが、「それなら力比べをしよう」と、相撲のようなものを取る。タケミカヅチがタケミナカタをへし折るような力を発揮したので、恐れおののいて出雲から諏訪まで逃走しました。
―― すごい距離ですよね。
鎌田 500キロ以上、700キロほどはあるでしょうか。それほどの距離を逃走して、諏訪湖の近くに行き、「ここからもう出ません。この国はあなたたちに献上します」と降伏します。そして、そこが諏訪大社の建てられる地になったという話になるのです。
そういった雄大な緊張感と面白さが備わった物語が『古事記』の中にはあります。でも『日本書紀』には、そういうものは一切ない。タケミカヅチも、特にそういった活躍をするわけではありません。
『古事記』では、タケミカヅチという鹿島の神様が、それでも力があって活躍する場面でもあるわけです。負けたタケミナカタが諏訪に逃げて降伏するといった話も、出雲神話の豊かさ、スケールの大きさを読み手に感じさせる。ですが、『日本書紀』にはそのようなスケールがありません。
―― 鹿島神宮はタケミカヅチで、諏訪大社がタケミナカタ。それぞれお社として...