●『古事記』は国家ができあがる物語
―― 今、鎌田先生から『古事記』と『日本書紀』の大きな違いをお話しいただきました。次に、個々を細かく見ていったときに、この2つがどのように違うのかという点について、ぜひ教えていただきたいと思います。
鎌田 まず冒頭の箇所を比較してみましょう。前回まで大きな違いとして、オペラのような『古事記』と、混乱させられるような「一書に曰く」という異伝承をたくさん含み持ち、それでも日本独自の国家意識を示した『日本書紀』、といったことを話しました。
『古事記』の冒頭は、アメノミナカヌシ(天の御中主)の神、タカミムスビ(高御産巣日)の神、カムムスビ(神産巣日)の神、ウマシアシカビヒコヂ(宇摩志阿斯訶備比古遲)の神、アメノトコタチ(天の常立)の神、クニノトコタチ(國の常立)の神、トヨクモノ(豐雲野)の神、ウヒヂニ(宇比地邇)の神、イモスヒヂニ(妹須比智邇)の神、ツノグヒ(角杙)の神、イモイクグヒ(妹活杙)の神、オホトノヂ(意富斗能地)の神、イモオホトノベ(妹大斗乃辨)の神、オモダル(於母陀琉)の神、イモアヤカシコネ(妹阿夜訶志古泥)の神、そしてイザナギ(伊耶那岐)の神、イモイザナミ(妹伊耶那美)の神と続いて登場してきます。
―― ずっと続いてくるわけですね。
鎌田 いろいろな文章を挟みながらイザナキ、イザナミまで行き、イザナギ、イザナミの神が、天つ神からミッションを受ける。国生みをするというミッションが与えられた2人は、天の浮橋を渡り、オノゴロ島に降り立ちます。オノゴロ島に降りたって、右回り、左回りをして出会い、ミトノマグワイ――つまり性的な行動――をして、日本の国々(島々)を生んでいく。
その国々(島々)も、水蛭子(ひるこ)、淡島(あはしま)、淡路島という順に生まれますが、水蛭子、淡島は数に入れず、次に生まれた淡路島を初めての子どもであると公認します。そして、伊豫の二名(いよのふたな)の島(=四国)、隱岐の三子の島、筑紫の島(=九州)、そして大八島という国々(島々)を生んでいくというお話になっている。要するに、まず国生み神話という大きい塊があります。
次に、その生...