●「三部の本書」『古事記』『日本書紀』『先代旧事本紀』の位置づけ
鎌田 『古事記』は本当に難しい。「あめつちはじめてひらけしとき」は、漢字だけで見ると「天地初発之時」となります。「天地初発」をどう読むかということだけで相当、研究者でも議論があります。「あめつちはじめてひらけしとき」、「あめつちはじめてひらくるところ」、「あめつちのはじめのとき」など、4通りにも5通りにも読み方がある。『古事記』を正確に読むことについても、一つ一つ細かく吟味していくと、とても議論が百出して、難しいところでもあるのです。
―― これはよく知られているように、今のように読めるようになったベースを本居宣長が作ったということですよね。
鎌田 はい。でも、『古事記』は本居宣長以前にも重要視されていた面もあります。中世の吉田神道をつくった立役者・吉田兼倶(よしだかねとも)がいます。吉田神社は春日大社の京都における勧請をした神社なので、タケミカヅチ、フツヌシ、アメノコヤネノミコト、ヒメガミという春日の神様を祀っています。それを祀っていた人々は卜部氏です。吉田神社を預かっていたので「吉田卜部」と言い、吉田の姓を名乗るようになっていきます。
その卜部氏は、中臣・藤原氏の管轄にあったと思います。私は、もともと卜部氏と中臣氏は血筋も同じ、ほとんど同族であると思っています。だから、その同族である中臣氏も卜部氏も、『日本書紀』をきちんと読んできた。『日本書紀』を読む家だったのです。
―― それは読み方を相伝しているということですね。
鎌田 そうです。読み方も相伝しているし、読み方の注釈のようなものも伝えている。公式には中臣も卜部も、『日本書紀』を講読する家柄のラインにあったのです。
その卜部氏が、古代に重要な文書が三つあった(「三部の本書」)と挙げています。その三部の本書とは、『古事記』『日本書紀』『先代旧事本紀』です。『古事記』『日本書紀』『先代旧事本紀』を三部の本書に挙げているわけですから、吉田氏、卜部氏が『古事記』をきちんと読んでいたことが分かります。そして同時に、『先代旧事本紀』も重要視していたことも分かる。もちろん『日本書紀』も持っていた。
それに対して、「わが家にはこんな文書が伝わっていますよ」という、一種のオカルト文書を卜部氏は独自に創作し、偽書のような形で権威づけていき...