●ハリウッド映画のように描かれる『古事記』
―― 世界神話の中の日本神話の特徴について、「人間の位置づけ」にクローズアップしてみると、神と人間に極めて近しい関係が構築されていたということでした。もう1点、お聞きしたいことは、日本神話の文献といえば、やはり代表的なものは『古事記』『日本書紀』の2つです。これらは、かなり性質が異なるのでしょうか。
鎌田 全然違うといっていいでしょう。まず『古事記』と『日本書紀』の違いをお話しして、それから『古語拾遺』や『先代旧事本紀』の違いにも少し触れたいと思います。
『古事記』と『日本書紀』の大きな違いは何か。まず成立年代ですが、『古事記』は西暦712年とされている。それに対して『日本書紀』は、それから8年後、西暦720年に編さんされています。『古事記』には序文がありますが、『日本書紀』にはそういった序文はありません。『古事記』の序文がまた特異で、稗田阿礼が口承したものを、太安万侶が書き留めていったということが記されています。
―― 口承ということは、ずっと口伝えできたということですね。
鎌田 もともと口伝えで行っていたものを、1度それを覚えて、経典を読誦するような形で物語化していく。それを記述したという形です。
私から見ると、『古事記』はオペラのようです。『古事記』全体の中には112人の歌が収められており、『日本書紀』にもいくつかの歌が収められていますが、地の文と歌の量を比較すると、圧倒的に『古事記』のほうが歌の比率が高い。歌は、短歌の場合もあれば、長歌――「古事記歌謡」といわれているものですが――の場合もいろいろあります。
特に神代の巻の上では荘厳な形で神々の出現を描きます。その後も、スサノオの話や、オオクニヌシの話などの出雲の神話といった、神々の面白いストーリーが、ハリウッド映画でも観るかようなスペクタクルで描かれるのです。これが大変楽しい。
―― 鎌田先生は『超訳 古事記』という本を出されています。これはそういったイメージで訳されたのですか。少しポエティック、詩的な感じで書かれていますね。
鎌田 『超訳 古事記』を書いた精神はこうです。私の捉え方では、『古事記』は詩(ポエジー)なので、神聖なる詩劇といいますか、神聖オペラなのです。歌物語なのだから、歌劇のように、詩劇のように、詩的な格調をもって語られなければいけない世界だったと思います。祝詞を唱えたり、歌を歌ったり、それも神聖な神々の歌・叙事詩を語るのが『古事記』です。『古事記』の根幹には「歌う」ことがあったのです。
●『日本書紀』は日本の国家意思を示すもの
鎌田 ところが『日本書紀』は歌ではありません。全て記録です。
―― アーカイブ、記録として残していくということですね。
鎌田 それも、恐らく東アジアを意識しています。当時、新羅や百済、高句麗といった朝鮮王権に対しても、激動の東アジアの中で新しく興ってくる隋、唐といった中国の政権に対しても、緊張感をもって日本の国家意思を示すための国家プロジェクトとして『日本書紀』はあった。『日本書紀』を制作する時に、渡来系の人々がたくさん関与しています。だから、『日本書紀』は国際プロジェクトでもあるのです。
―― 『日本書紀』は720年編さんということですが、当時はずいぶん唐の圧力が大きくなっています。日本としては当然、東アジアの国際情勢の中で「日本」というものを考えなければいけない時期だったのでしょう。
鎌田 そうです。だから、現在の状況に、ある意味で似ているかもしれません。その東アジア情勢を考えると、日本は朝鮮半島と親密であったけれども、白村江の戦いなどで百済や新羅との関係がぎくしゃくするようになり、緊張感が高まってくる。一方、中国では革命が起こり隋から唐へと変わっていく中で、中国とどのような付き合い方をしていくのかという日本の立場を明確にしなければいけない。そのような中、天智、天武、持統、そして文武と続く王権確立の過程で『日本書紀』がまとめられていきます。
―― 例えば中国の『史記』といった、公式の歴史書が次々とできてきます。それに対抗する意味で、「わが国はこうだ」というものを出そうとしたわけですね。
鎌田 そうだと思います。ただ、中国を一つの重要な模範にし、かつ中国のさまざまな古典の引用に基づいて日本独自の伝承体系を記述しているにもかかわらず、根本的なところでは中国の歴史記述と違っているのです。
―― どのあたりが大きく違うのですか。
鎌田 本文と一書を並記しているところです。
―― それはまったく違うスタイルになるのですか。
鎌田 そうです。中国の場合、別伝はあるとしても、1つの物語が推移しています。
日本の場合は、「この神様はこういう神様です」「神様がこういうふうに現...