●なぜ自ら悪代官になれるのか
―― 私は日本の財務省の人たちは大変立派だと思っています。これはもう江戸時代から同じですが、本来は増税したら、増税した人は「悪代官」と呼ばれます。民主主義政治制度の中では、選挙で負託を受けた政治家は、財政がきつければ悪代官をやらざるを得なくて、増税すれば悪代官でした。
どうしても税収より歳出のほうがどんどん増えます。その一番大きいものは社会保障で、年金・医療・介護だと思います。その悪代官の役割をあえて財務省の人たちが担ってくれたことに日本の特殊性があります。
これはものすごく損です。なぜなら、増税すれば必ず悪代官と呼ばれるからです。別に企業経営者ではないので、増税した金が自分たちに入るわけでも何でもありません。でもあえて悪代官をやり続けてくれました。
日本の特異性は、それにもかかわらずこの構造の中で、自分たちに得でなく損になることをやり続けてくれる大蔵省の伝統的な精神性です。岡本さんがちょうどそこに入られて以来、この精神性って何に拠るのか気になります。昭和58年(1983年)にまだ日本が成長している頃の大蔵省に入り、そして2020年に事務次官として退官されました。ずっと見てきた中で、どうしてあえてこの問題に取り組むことができたのかが、私が最初にお聞きしたかったことです。
岡本 そのように言っていただけるのは大変過分なお言葉で、本当に恐縮します。他の省庁は節目、節目で大きな制度改正があれば、法律を国会に提出することはよくあります。こと財政については、予算は必ず毎年年末に編成をして、それで年が明けた通常国会に提出をして、1月、2月、3月はまさに予算の審議を受けます。基本的には年度内に成立させ、4月からまた予算を執行していきます。必ずそこには税法があるので、私たちは毎年予算編成をして、国会の審議を経て成立させます。これは課せられた義務であり、大蔵省・財務省の一つの特殊性でもあります。
予算といっても、結局各省庁の政策はそれぞれが国の行く末に関わることが多いため、その政策の調整にも携わっていきます。そうしたことを当然の義務として続けていることが、おそらく組織の大きなDNAになっていると思います。
●税収減・歳出増の時代
岡本 ただ一方で、私が役所に入った昭和の後半は、財政再建だと言っていながらも、まだ税収が増えていた時代です。今神藏さんがおっしゃいましたように、まだ最後にはプラスの配分ができました。もちろん、もっと過大な要求が来ていたので、それを抑えていたからでもあります。それでも、最後はまだプラスのものがありました。
ところが、平成に入ってからは税収が落ちていく一方で、歳出が増えていきます。そうすると社会保障の見直し、あるいは歳出のカットか収入増など、いわばマイナスの配分をしないといけなくなってきます。役所はいろいろ選択肢を作ることができますが、プラスの配分のときは、今思えばまだ政治との調整も比較的やりやすかった。しかし、マイナス配分は最後に法律という形で、政治が国民に問わないといけなくなります。こういう中で難易度が全然違ってしまいました。
そこに少子高齢化の進展で社会保障のいろいろな問題が顕在化してきて、取り組まなければいけないことが山積する中でこの構造の変化は、われわれにとって非常に厳しい変化になっていると思います。
ただ、そうはいっても、これはきちんとやっていかないといけません。かつては「役所が黒子になって」とよく言われていましたが、もはや黒子にはなれません。やはりきちんと課題と選択肢を示して、政治の世界で国民に向き合って議論をしていく環境をつくるのが、以前にも増して必要になってきていると思います。
―― この大きな問題を考える司令塔がたぶんもういなくなってきていたのではないかと思います。昔であれば、こんなに大きい問題があれば、大蔵主計局を中心とした日本のある種の参謀本部が対策を考えていました。全体を考える人たちがいた時代にはそれを処理していたと思います。日本は日本なりに、歴史と伝統に基づいて、非常に上手く処理する仕組みを延々と続けてきました。その部分をあまり考えずに壊してしまったことは大きいですね。
●日本特有の霞が関文化
―― 日本の保守本流というか、日本を支えてきたものの一つは、やはり天皇制と霞が関文化、それから日米安保です。特に2番目の霞が関文化は他の国にありません。本当はゴールドマン・サックス、モルガン・スタンレー、マッキンゼーに行けば1億円や2億円の年収が貰える人たちが、長時間労働をいとわずに国のために働いてくれます。課長さん、局長さん、次官になっても、年収1000万円~2000万円の間で死ぬほど働いてくれます。だけど、それなりの使命感はあるので、達成感もあります。...