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旧満州で孔子廟を見学! 注目すべき民間儒教の動きとは?

現代中国の儒教復興(2)儒教をどう捉えるのか

中島隆博
東京大学東洋文化研究所長・教授
情報・テキスト
中国では、大学を中心とした各立場の儒教論のみならず、民間レベルにおいても儒教復興の動きが活性化しているという。中国のそれぞれの儒教的立場の特徴を知ったうえで、日本に目を転じた時に見えてくるものとは? 中島隆博氏が語る。(全4話中第2話目)
時間:12:54
収録日:2014/09/09
追加日:2014/11/16
カテゴリー:
≪全文≫

●大学を中心とした中国の儒教復興の立場―「儒教国家論」と「儒教国教化論」


 中国の大学を中心とした儒教復興の中では、いくつかの立場があり、三つぐらいに分けられるのではないかと言われています。

 一つは、「儒教国家論」という議論をする方がいます。蒋慶(しょうけい)氏がこの議論をされています。ある種、儒教原理主義のようなもので、近代的な政治のあり方はいけないのではないか、伝統的な儒教に基づいた政治を行うべきなのではないか、といった意見です。

 もちろん、単純に「前近代に戻れ」というようなことを今、言えるわけではありませんので、例えば、近代の議会制を維持したまま、その上で「通儒院」をつくる。「通儒」というのは、「儒教に通じた知識人」ということですが、そういった人々を集めた第三の議会をつくるべきなのではないか、という言い方をしています。また、儒教をある種、「憲法の地位」に置くべきではないかという、非常にラディカルな主張をする方もいらっしゃいます。

 そして、二番目もそれによく似ているのですが、「儒教国教化論」です。儒教を「国教」にしようという議論で、康暁光(こうぎょうこう)氏たちが唱えていらっしゃる意見です。これは非常に面白い議論で、政治も含めてあらゆるレベルで儒教化をすべきなのではないのか、という非常に強い主張で、共産党を「儒化」すべきだと言い、マルクス・レーニン主義を「孔孟の道」に代えるというようなことを言っているのです。なかなかラディカルな主張かと思います。

 この二つの立場は、どちらかというと、儒学というよりは儒教ということでしょうか。宗教としての儒教を中心に据えて、国のかたちというものを考え直すといった主張になるかと思います。


●大学を中心とした中国の儒教復興の立場―「市民宗教論」


 第三の立場は何かというと、これは「市民宗教論」というものです。「儒教とは市民宗教である」という、よりマイルドな主張かと思います。

 もちろん、市民宗教というのはなかなか難しい概念で、例えば、典型的なのはジャン=ジャック・ルソーの市民宗教論がありますし、それを継承したロバート・ベラー氏のアメリカの市民宗教論があります。これは、もちろんキリスト教が中心になってはいるのですが、特定の宗教ではなく、ルソーの場合ならば、「共和国に相応しい精神的なバックボーン」が市民宗教であり、「市民が信じることができる、市民をベースにした宗教的なもの、スピリチュアリティ」が市民宗教なのです。そして、儒教もそのようなものに読み替えることができないのか。このような主張が陳明(ちんめい)氏によってなされています。

 これは、なかなか含蓄の深い立場だという気がしています。ある種の原理主義的な方向に行くのでもなくて、近代というものをある仕方で再肯定しながら、しかし、中国的な伝統文化を入れ込んだ根っこのある市民的空間、市民的な共同体をつくっていこうという主張なのです。


●どの立場も、中国政府による導入は微妙


 しかし、どの立場もなかなか今の中国政府にとっては微妙なものです。特に、最初の二つはやはり、受け入れるのが非常に難しいと思います。第三の立場も、それほど簡単ではないと私は思っています。なぜならば、「市民」と言う以上は、ある種の民主主義を実現しないと、この「市民的な共同体」は実現しないからです。

 ですから、この三つの主要な立場のどれに対しても、中国政府は若干距離を感じているのではないかと思います。どれもそれほど都合のいい儒教ではないのです。

 もちろん、それ以外に、儒学としての儒教哲学や倫理学、教育学などを含めた総合的な学問的言説としての儒教、これは非常に穏当と言えば穏当なのですが、そういったものであれば、それほど矛盾なく導入できるのではないか、これが今のある種の配置だと思います。

 こうしたことが、今の中国の儒教復興の一つの、特に大学を中心とした姿かと思います。


●注目すべき、地方に根差した民間儒教の動き


 それ以外に、もう少し民間の儒教の方に目を転じてみます。私は、旧満州、今の中国の東北地方にある長春という町に行きまして、そちらの小さな孔子廟を見学する機会を得たのです。私はこれを、ある種の市民的なスピリチュアリティと呼んでもいいと思っているのですが、そこでは地方の人々に根差した儒教を目指されているように思ったのです。

 孔子廟を中心として、そこで儀礼や学問教育を行い、その地域の方々が参加する。地元の企業がスポンサーになって支えていらっしゃる。一種のNPO的なものだろうと思うのですが、そういう活動があちこちでなされているのです。

 もちろん、地方の、しかも民間の儒教運動ですので、そこにいらっしゃる方々が使う言葉は、どちらかと言う...
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