●にじみ出てくる「優しさ」「おおらかさ」「気配り」
―― 皆さまこんにちは。本村凌二先生に講義をいただくのですが、今日はちょっと趣向が違いまして、いまちょうど大谷翔平選手が大リーグで大活躍というところですが、この大谷選手と石原裕次郎の「共通点」ということでございましょうか。「非常に似ているのではないか」というご指摘がございまして、それについての講義をいただきたいと思います。先生、やはり似ているのでしょうか。
本村 ええ、似ているというか、ある年配(いま70歳以上)の方なら、わかると思います。裕次郎がデビューした時期は昭和30年代の初めです。その時期に彼がスターとしてのし上がってきて、人気を得ていく過程を身近に知っている人間と、それ以後、裕次郎さんはある年齢(29歳)で石原プロモーションの社長になり、テレビで「太陽にほえろ!」や「西部警察」などで貫禄のあるボスの役をしているものしか見ていない方とでは、違うと思います。
私は、大谷翔平君を最初に見たときに「あ、これは石原裕次郎と似ている眼だな」と思いました。つまり、眼の形が似ているとか、そういうことではなくて、ある種の「優しさ」とか「おおらかさ」を持っている。
―― ポイントは「優しさ」なのですか。
本村 そうですね。そういうものを、この人は持っているな、と思ったのです。最初のころから、それを周りの人にはいっていたのです。「大谷選手は、裕次郎が野球選手になったような奴だなあ」と。
裕次郎さんも、デビューしたてのときは、「太陽の季節」や「狂った果実」など、どちらかというとヤクザものというか不良ものをやらされたので、なんとなくアウトロー的な人間だとみんな思っているのだけれども、人間としては、非常にまっとうで、非常に礼儀正しい人でした。
いちばん有名な話が、渡哲也さんがなぜ裕次郎に心酔したかという話です。渡哲也さんが最初に日活のスタジオに新人で行ったときに、挨拶回りをさせられた。いろいろなスタッフや幹部たちのところに連れ回されて行くと、みんな軽く手を挙げて「あ、ご苦労さん」というようなかたちで終わる。(石原裕次郎に挨拶する番になり)「いよいよ、あの裕次郎だ」と渡哲也さんが感激せんばかりになっていたときに、裕次郎さんが立ち上がったというのです。立ち上がって握手を求めてきて、「ああ、きみが渡君ですか」。それで、渡哲也さんはびっくりしたわけです。
裕次郎という人は、初対面の人と会うときは、必ず立ち上がる。それは浅丘ルリ子さんも証言しています。裕次郎さんは、いつでも誰に対しても、そういうことをしているのだと。そのような基本的な礼儀作法を持っている。また、いろいろな人がいうのは、非常に思いやりがあるし、人の悪口をいわない。もちろん人間だからいろいろな感情があるのでしょうが、そのなかでも人のことを悪く思わない。あるいは物事を人の責任にしない。そういうところがある。それが彼の人柄をつくっているのではないか。
外見的に見て、背が高くて格好良いなどというだけではなく、彼が持っているキャラクターがあって、渡哲也さんをはじめ小林正彦さんという専務も、それ以下のスタッフもついていった。金宇満司さんというカメラマンも、最後まで裕次郎さんの世話をしていました。そういう周りの人たちがついていく。1人の単なる映画スターではなくて、そのような雰囲気を持った大スターだったわけです。だから、戦後最大のスターといわれたり、最後のほうでは「日本でいちばん愛された男」といわれ、そういう本(『石原裕次郎 日本人が最も愛した男』)も出ています。
大谷君が出てきたときに、「あ、これは裕次郎っぽいな」とすごく思ったのです。この2~3年の活躍を見ていると、彼はもちろん、打撃においても、ピッチングにおいても、とてつもない業績を上げているのだけれども(特に打撃において)、それだけではなくて、「周りの連中からすごく好かれている」のが伝わってくる。それは、それを彼がなにか「つくって」やっているのではなくて、ごく自然のうちにです。
先日、大リーグのホームランダービーをやっていたので、珍しく長時間ずっと見ていたのですが、すると自然にカメラでいろいろな角度を録っている(大谷君の)立ち居振る舞いを見ていると、「あ、これは裕次郎っぽいな」と思いました。裕次郎が、周りのスタッフに非常に気をつかってやっていたのを彷彿(ほうふつ)とさせるものがある。
これは、渡哲也さんの本にも書いてあったのですが、渡さんが若いときに「あんまり俳優どうしで飲むよりも、スタッフに気をつかえ。スタッフとお酒を飲め」とか、「まず俳優である前に、一人前の社会人であれ」などと裕次郎さんにいわれたといいます。さらにおもしろいことに、「新聞を読め」それも「社...