●戦後10年、贖罪意識の強かったドイツにいた渡部昇一
―― 特に渡部昇一先生の留学先がドイツだったのは、非常に大きなことだったと思っています。
渡部 非常に大きかったですね。『ドイツ留学記 下』の巻頭にも書かれていますが、当時、(在欧)アジア・アフリカ留学生機構というものがありました。ヨーロッパ全体の機構で、ヨーロッパに世界中から来ているアジア人、アフリカ人がつくっているソサエティです。
そこでアンケートを取って「最もキリスト教的な国はどこか」と聞くと、だれもが「ドイツ」と答える。当時のドイツといえばナチスの記憶も新しいところで、非常に贖罪意識の強い状況でした。
―― (当時)戦争が終わって10年ですからね。
渡部 そうです、戦争が終わってから10年です。キリスト教の最も大切な原点は「原罪」で、そもそも誰もが罪を持っているということなので、「アダムとイブ」以来、罪のないところにはキリスト教もないというほどです。よって、(当時は)最もキリスト教らしくなりやすい状態であったうえに、ゲルマン人というのは昔から非常にお客さまをもてなすのです。
ギリシャ語から派生した言葉で、ラテン語のほうでは「敵」になるのですが、ドイツ語では「ガスト(ゲスト=客)」になります。その言語学的な語源の違いも本書に書いてあります。
そうしたゲルマン的な饗応の伝統があったうえに、熱にうかされたようなナチスの動きが終わった後で、ドイツ人は(もてなしに対して)非常に積極的になっていました。そのように外国人として一番暮らしやすい時期に父がそこにいたのは、非常にラッキーなことだったと思います。
●想像を絶するもてなし――ドイツの特別な親切さ・安心感
渡部 私も留学時代にドイツへ1年行きましたが、そうした彼らの親切さを非常に強く感じました。もちろんラテン系の国にも親切な人はたくさんいると思いますけどね。
留学前の、もっと若い頃に、私はヨーロッパを遊学したこともあります。ユーレイルパスというヨーロッパの鉄道が乗り放題になる制度を用いて、さまざまな国を放浪しました。観るものに関してはやはりイタリアなどが突出していますが、その国に入ると安心感があるのはドイツで、それはもうだれもがものすごく親切にしてくれました。
―― 安心感というのは、親切さからくるものですか。
渡部 そうですね、親切でした。お金を取ろうなどという人は当時まずいなかったですし、例えば地下鉄でチケットを買おうと迷っていると、すぐ誰かが寄ってくる。「どこに行くんだ?」と英語で話しかけてくれて、「これをこうすればいいんだよ」と教えてくれました。日本も今は世界から「おもてなしの国」だといわれていますが、当時のドイツも非常に親切で、全くそういう感じでした。
父が非常に居心地良く過ごして、ドイツにたいへん感謝していたこともあり、「ああ、そういう国なんだな、やっぱり」と実感したことを覚えています。それ(居心地の良さ・親切さ)は、いまだに少し残っているのではないかと思います。あるいは少しどころではないかもしれません。
ともあれ『ドイツ留学記』に書かれた、父の行った頃の親切さは、ちょっと私たちの想像を絶します。「とにかく毎日晩御飯を食べに来い」と。「勉強の邪魔をする気はないから、晩ご飯だけ食べて、帰りたかったらいつでも帰りなさい」「君は顔色が悪い。食事は大切だから、毎日食べにだけは来なさい」など、地元のロータリーの会長さんの話もありますので。
ですから父は滞在中、食べることに関してはほとんど自分のお金を使う必要はなかった。そこら辺の経緯も書いてあって、その分、本を買ったりしたようで、一生懸命勉強する留学生を彼らは非常に愛してくれました。
そのようなことから、私はこの本をドイツで『古き良きドイツの留学生』といったタイトルで出したら、ドイツ人は結構喜んで読むのではないかと思っています。
今は父の時代ほどではないとは思いますが、似たような親切な人、キリスト教的に親切な人はまだたくさんいらっしゃると思います。今はドイツもインターナショナルな存在になり、いろいろな問題が発生しています。しかも、(当時は)今はなき西ドイツです。少し特殊かもしれませんが、「こういう体験をしたら人生が豊かになるだろうな」という体験を父はたくさんしています。
―― 当時、渡部昇一先生はドイツの方々に「私は悲観主義者になることはないだろう。若いうちにこんなに親切にされた経験を持っていれば」と言われたというお話を書いておられますね。
渡部 父が帰る前にドイツでお世話になった方に言ったのは、「私はこの後の自分の人生の中にどんなに悲惨なことがあっても、絶対にペシミストにはならない。なぜならこの地でこれほど多くの人々の好...